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2014年11月29日

散るモミジかな

今年は例年になく桜の葉が紅く染まった。
最近、幾人かの方から「喪中の便り」をいただいた。
しばしその方々の事を思い、『表を見せ 裏を見せて 散るもみじ(良寛)』かな・・・・・・、ガラス越しにヒラヒラと地に舞い落ちた葉に夕日があたって輝いているのを見て、どんな人生の最期だったのだろうと思う。どの人も、人生の最後は最高であってほしいと願った。
そして複雑な思いで、冬への備えを始める時がきたことを感じる。
本当に1年の過ぎるのが早かった。
さあ12月は忙しいぞ!
クリスマスそして正月に向けて部屋の飾りを、クリスマスカードの準備を、美味しいものを作る準備等で、一日一日を大切に生きようと心に語った。


「人よ、何が善であり
主が何をお前に求めておられるかは
お前に告げられている。
正義を行い、慈しみを愛し
へりくだって神と共に歩むこと、これである。」      ミカ書6章8節


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団地の水路そばの公園の桜


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通りに面して植えられたイチョウも色づいて

2014年11月19日

秋の色、イチョウ並木

ドレスデンのクリスマスマーケット見学ツアーを申し込んでいたが、何かの都合で催行中止になってしまった。急遽、青山に一泊して神宮外苑の早朝のイチョウの紅葉を見に行くことになった。妻の出身校青山中学にも案内されて、若かりし頃の状況を聞いた。
外苑の並木道沿いのテラスで朝食をとったが、何人かの人が朝の犬の散歩の後やはりここで朝食をしたり、朝のテニスを終えて入ってくるグループもいたりしてこの時をそれぞれ楽しんでいる。
田舎のネズミが都会に出ると、何かと見るところが多く、やはり東京は世界の大都市だと実感した。若者もいっぱいで、とても活力がある。ドレスデンのツアーと比べるとコストパフォーマンスは抜群で、それなりにリフレッシュされた時だった。


「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」
マタイによる福音書16章26節


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まだ少しグリーンが残るイチョウ


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朝のテラスから


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ミッドタウンのイルミネーション(前日の夜)

2014年11月15日

ゆめクラブで

「午前9時、第二児童公園に集合!」
ゆめクラブ(老人会)の月例美化デーに参加した。
秋晴れの気持ちの良い朝だった。20人位の老齢男女が団地の公園に集まった。ごみを拾ったり、落ち葉を掃いたり、雑草をとったり1時間ぐらいだが作業とおしゃべりで時間を過ごした。最後に「ビニール袋に入れた落ち葉を堆肥用にもらっていきますがよろしいですか?」と聞いたら、クラブ会長が「落ち葉をあげるから、来年野菜をくださいね」とジョーダンを飛ばしていた。そして満場一致で私が6袋の落ち葉を畑の堆肥用に貰って来た。
そして、さらにお隣のTI翁が、「第一児童公園にもたくさん落ち葉があるから熊手を持って行って集めよう」と言って、また2人で本格的に落ち葉だけを集めた。
熊手で枯れ葉(お札?)をかき集めるのはとても良い気分だ 。
TIさんは最近100万円近くかけて入れ歯を造ったようだが、一日でも長生きしてほしい。団地では新参者であり、ゆめクラブでは最若年者である私にとって頼りになる隣人です。今日半日で今年の必要な落ち葉は八割がた集まった。
畑も冬の準備が着々と進んでいる。


「それゆえ、イスラエルよ、わたしはあなたにこうしよう。わたしはあなたにこのことをするから、イスラエル、あなたはあなたの神に会う備えをせよ。」
                               アモス書4章12節


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手よりも口の方が良く動く、ゆめクラブ美化デー


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畑の堆肥置場に豊かに集めた落ち葉

2014年11月 7日

晴耕雨読 そのⅡ

長雨も秋の季節の言葉でしょうか?
秋晴れのすっきりした時もあるが、今時は意外と他の季節より長雨の時がある。
畑に玉ねぎの苗を植えたり豆を収穫する忙しい時の雨、しかしこんな時には読書をすることしかない。
親友のYYさんから、私がクリスチャンであるということで「興味があれば読んでみたら?」と一読を勧められたギボンの「ローマ帝国衰亡史」のⅡ巻15章を読んだ。
歴史家ギボンは「キリスト教の発展およびその確立に関し、公平かつ合理的に検討を試みることは、ローマ帝国史を語る上で、極めて重要な一章であろう」と言っている。
そして、一世紀のキリストや使徒たちが生きた時代から、なぜキリスト教がかくも急速な発展をとげたかを究明している。
いくつかある要因の中の一つ、「キリスト教徒というのは、いかに凶悪な罪人でも、悔い改めの兆しが見えれば、たちまち洗礼を勧め、他の宗教では決して認めないような過去の罪をも水に流してしまう、というのがあった。」とある。
事実これこそキリスト教の根本的教理ですが、私も信仰者の目で見ていたので、世間では1000年かかっても考えられない事をいとも簡単に考え、当たり前に行ってきたという驚きがあった。
友人に刑務所伝道をしている人が何人かいる、彼らのしていることは一般社会の目からはとんでもなく不思議に見えることでしょう。
立場を変えて違う角度から見ると、ビックリするようなことあることが分かった。


「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。」
                                 使徒言行録9章18,19節


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農家のおじさんが今年もきれいに咲かせた菊の花

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