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2012年9月29日

ディコマーノ(Ⅱ)

ディコマーノでの2日目

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宿の朝焼け、日の出が7時頃


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オリーブの木とぶどう畑の景色


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ワイン用ぶどうがいっぱい


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朝の散歩に出たら既にぶどう刈りをしていた


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ステファンさんに連れて行っていただいたディコマーノ、リパブリック広場の土曜朝市


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朝市で言葉を交わす人たち


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オーナーの事務所(左)とVECCIと書かれている母屋、

ディコマーノのアグリ・ツーリズモ

今日(28日)はイタリア旅行最後の目的、アグリツーリズモのディコマーノへ来ました。
フィレンツェからローカル列車に乗って北東に50分、もちろんサンタマリア・ノヴェナ中央駅が始発ですが、相変わらずわかりにくいスタートでドキドキ、ハラハラでした。
ノヴェッラ駅はすべての列車の始発駅で、発車時刻とプラットホームの番号が出ます。
ところが特急や急行列車は近い便利なプラットホームから出るが、ローカル線は不便な遠いプラットホームを使うことが多い割に、しかしなかなかその表示が出ない。今回も一番遠い(歩いて7分ぐらい)18番プラットホームでした。
最初から決まっていればそこへ余裕を持っていくのですが、なぜか時によって違い、間際まで電光掲示板に出ないので多くの人が走っていきます。(これがイタリア鉄道の悩みかも)
さてディコマーノへ着いたと思ったが、駅名の表示がなく本当にディコマーノ駅なのか、その上ドアが開かないのでイタリア人の学生たちも焦っていた、もちろん私たちも焦った。
どこかのボタンを押してやっと降りられ、駅舎の上の方を見たら小さくDICOMANOと書いてあったのを見つけてちょっと安心した、小さな駅なので降りたのは学生たち7~8人と2人の婦人と私たちだけだった。見ると線路の向こう側に明るくにこやかなステファンさん(会ったこともない人だったが感じとしてステファンさんと確信した)が待っていてくれたので、やっとほっとした。そして彼の車に乗って、今日の目的地、アグリツーリズモの宿舎PODEREVECCIへ着いた。午後4時でした。

ここは緑多く、ぶどう畑とオリーブ畑が山の斜面に広がっている山間の人口5000人ぐらいの町です。奥村千穂さんに紹介して頂いた、日に2組の宿泊客だけしか取らない小ぢんまりした農家民宿です。

自慢の自家製ワインのボトルを開けるのはステファンさん、食事のチーフ・シェフはご主人のロベルトさん、コーヒーとドルチェのサーブは奥さんのイラリアさんの担当のようです。もちろん食事にはが自家製ワインは飲み放題で、パスタ・カルボナーラ(今までイタリアで食べたパスタで一番美味しかった)、肉料理、生野菜のサラダ、アップルパイ、コーヒー・カプチーノ、食後酒(ブランデー)が一応のコースでお腹いっぱい、食べ過ぎです。私は痛風なので美味しいものや、アルコールは控えるようにということですが、今回は「まいっか!!!」というところです。


「このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。」
              へブル人への手紙12章28節

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ディコマーノは緑深い里


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宿舎


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明るく優しいステファンさんと


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自慢の自家製ワインとカルボナーラ、抜群の相性です


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左)お肉のトマトソース煮、
右)エスプレッソ、ドルチェ(アップルパイのかじりかけ)、食後酒

2012年9月27日

ちょっと硬い話、「マキャベッリとダンテ」

日本ではマキャベリーと言われているが、こちらではマキャベッリと(べにアクセント)発音されているようです。
私達が泊まったアパートタイプのホテルからマキャベッリの生家がすぐ近くにあったことでもう一度マキャベッリのことを考えた。彼はこのピッティ宮近くの家からベッキオ橋を渡ってオフィスへ(現在のウィフィツ美術館がオフィスだった)走っていたそうです。約5分ぐらいだが、たまに遅刻したようです。

「君主論」は難しい古典的政治哲学書と思われているようですが、実は書記官(官僚)であったマキャベッリが失職中(山荘の書斎にこもり、歴史に学び、現実を分析し)キリスト教的倫理観から抜け出て、科学的情報を用いて書き上げたもので、再就職のために書いた「就活のための書」です。。

「神曲」を書いたダンテ。
ダンテは名門の出で、古典文学の教育を受けた詩人であった。しかし誰もが加わる政治の中で、反対勢力に加わっていたためフィレンツェを追放された。各地を転々としながら苦難の時を過ごし死に至るまでの14年間をかけてこの「神曲」をイタリア語で書き上げたのです。
書中で彼自身が地獄から煉獄、そして天国へと旅をするのです。地獄に出てくる極悪人は権力と欲望に執着する教皇や銀行家であり、当時の教会で教える天国地獄の図ではない。

最後の保護者の地、ラヴェンナに葬られた。
墓碑に
"生まれはフィレンツェなれど
 その母に愛さざれし
 われダンテ
 祖国を追われてここに横たわる"


ルネッサンス期にマキャベッリもダンテも失意の時、苦難の時の作品が後世に残る傑作となった。


「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
             ローマびとへの手紙5章3,4節

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ウィフィツィ美術館のコリドーにあるマキャベッリの像


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ピッティ宮前のマキャベッリの生家、(2階)


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マキャベッリが駆けて行ったベッキオ橋(今は金細工店が並ぶ)


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ダンテの像


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ドォオーモにあるダンテが神曲を持っている画

2012年9月26日

クーポラへ上る

フィレンツェのシンボル、ドゥオーモのクーポラ(円錐塔)を、フィレンツェに着いた時から今まで上りたいと思っていたが、色々な事情で実現できなかった。
ついに今朝のその頂上へ上ることができた。

妻も私も上る目的があった。妻は江國香織と辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」を読んで、出てくる元恋人同士が日時を決めてクーポラの頂上で逢う、というストーリーを確認したかったということ。また、私は友人KMさんが以前ここを訪れたが上れなかったので、私にそれを実行するようにとの宿題が出され、それを実現することでした。

人のすれ違いが困難な程狭いラセン状の階段を500段ばかり上るのだが、疲れが出る頃、途中ドームの内側に出て天井一面のフレスコ画を見るところがあった。その天井画は「最後の審判」を描いたものだったが素晴らしかった。下から列をなして上ってくるので立ち止ってゆっくりすることはできないが、とにかく圧倒された。

やっと、汗かきながらだが最後のはしごのような階段を上って頂上の見晴らし場へ出たときは「光がパッ!」と目に入りほっとした。それから360度フィレンツェの町と、遠くトスカーナの山々や丘を眺めることができた。とにかく素晴らしい!
クーポラ上での日差しは暑かったが、日陰に入るとフィレンツェの風が体を吹き抜け、なんとも言えない爽やかな気持ちになった。目的を完遂しました。


「兄弟たち、わたし自身は既に捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」
        ピリピ人への手紙3章13,14節


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ジョットの鐘楼を望む


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ピッティー宮殿を


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ベッキオ宮を


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妻をモデルに


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私も上った証拠を

2012年9月25日

お料理教室へ

今日はイタリアの田舎料理教室に行った。
というのはNHK(BS)で「猫のしっぽ カエルの手」という番組があって、京都大原のべネシアさんとトスカーナの奥村千穂さんの「田舎暮らし」を放映していた。その千穂さんのご主人アントネッロさんが料理の達人で、イタリア料理を教えているので今回旅の途中に一日料理を習う計画をしたのです。生まれて初めての「お料理教室」受講です。

北海道からイタリア語を勉強に来ているXA嬢と、京都で自宅農家を手伝いながら針の治療師をしているYB嬢と、私たち夫婦の4人がフィレンツェから電車で北へ30分の標高550mの山の中にある千穂さんのお宅へ行って料理を教わり、それを食べるという講習会に参加したのです。
メニューはアントネッロさんの故郷、南イタリアのプーリアの田舎料理でした。10時頃から開始して1時にすべての料理が完成し、皆でいただいた。
一皿一皿みな美味しかった。


「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」
        使徒言行録9章18節


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お料理教室の先生ご夫妻(アントネッロさんと千穂さん)


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パプリカを焼いて前菜とする


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左)前菜、パプリカとパン粉のサラダ
右)プリモ、ブリンディシ風ナスの詰め物


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左)セコンド、ジャガイモとイカ
右)ドルチェ、クペータ

そしてコーヒー、赤ワイン


日本でナスは主菜にならないと思われているが、ここでは堂々と主菜になっているし、パプリカが前菜となるなんてビックリです。私も目からウロコのようなものが落ちた感じです。

2012年9月23日

聖書の世界に

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フィレンツェは、町中が(聖書の世界)芸術館であるように隅々まで美術品で溢れている。どこへ行っても世界中からの旅行者いっぱいです。

お昼時にルネッサンス彫刻の名品があるといわれるサンタクローチエ地区(アルノ川の北側)のバルジェッロ国立博物館へ行った。
お目当ては、「イサクの犠牲(Sacrifice of Isaac)」という作品です。

ゴシック時代からルネサンスが始まる15世紀、その幕開けともいえるコンクールが1401年フィレンツェで開催された。たくさんの応募者の中から、最終的にはギベルティとブルネッレスキの二人が残り、勝者を決めるため、課題「イサクの犠牲(旧約聖書創世記22章)」の銅板パネルが作成された。
勝負に敗れたブルネッレスキは、失意のうちにローマに出て建築の勉強をすることになった。その後帰郷してサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ(ドーム)の建築を任されたのです。敗者がその屈辱をバネにして復活したのです。

こうして新しい何かを探していた多くの芸術家達が参加し、フィレンツェはルネサンスへと向かい始めたのです。

「イサクは父アブラハムに、『わたしのお父さん』と呼びかけた。彼が、『ここにいる。わたしの子よ』と答えると、イサクは言った。『火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。』
アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが、『アブラハム、アブラハム』と呼びかけた。彼が、『はい』と答えると、御使いは言った。『その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。』・・・・・『あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。』」
            創世記22章7-18節


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「イサクの犠牲」をテーマに、左がギベルティ作、右がブルネッレスキの作品


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ブルネッレスキが手がけたドォウーモのクーポラが、町のシンボルとして存在している(高さ50m直径40mの円錐型)

2012年9月21日

ミケランジェロを中心に

今朝は快晴、外の温度が18度で少し肌寒く、カーディガンやダウンを羽織って出かたほど気持ちの良い気候でした。

まず、アカデミア美術館に行った。
この美術館のメインはミケランジェロの代表的大理石の彫像、裸体のダビデ像。フィレンツェにはあちこちの広場に同じダビデ像があるが全てレプリカです。本物はこのあまり大きくない、アカデミア美術館にあるのです。
この像は、旧約聖書のゴリアテとの戦いに望むダビデ少年を意識して彫られたものと思われる。(肩に石投げの帯をしょい、右手に石を握っていると思われる。)

ここも朝から外に行列ができていた。ダビデ像の周りにベンチがあってそこに座って、この力強い裸体を何時間も見るのだそうです。
なぜかアメリカ人に人気とのことです。

それから、隣にあるサン・マルコ美術館(元は修道院)に行ってアンジェリコの「受胎告知」、壁に直接描かれているフレスコ画を見に行った。多くの画家が「受胎告知」を描いているが、アンジェリコのものが優しく、とても気に入った。

帰路、サンマルコ広場からアルノ川沿いのガリレオ博物館へ行こうとしてバスに乗ったら、反対の終点に行ってしまった。ちょと不安だったが、そのまま載っていたら一人の婦人が「私も途中まで行きますよ」と言ってくれ、婦人はひとつ手前で降りたのですが、降りるときわざわざ私たちの座っているところに来て「次で降りなさい」と言ってくれた。旅で不安を感じている時にこのような親切は本当にありがたいです。
それも美しい婦人が声をかけてくれので勇気百倍です。

夕方、町の東南の高台にあるミケランジェロ広場にバスで登って行った。ここにもダビデ像のレプリカが据えられていた。
高台から見る町が夕日に染まってくるのを見るために多くの観光客が来ていた。
私たちは少し疲れたので、早めに景色を見ながら歩いて降りた。
今日も素晴らしい一日だった。


「 だが、ダビデもこのペリシテ人(ゴリアテ)に言った。『お前は剣や槍や投げ槍でわたしに向かって来るが、わたしはお前が挑戦したイスラエルの戦列の神、万軍の主の名によってお前に立ち向かう。』」
           第1サムエル記17章45節


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ダビデ像(ウイッキぺディアより)


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ミケランジェロ広場からアルノ川を見る(真ん中がベッキオ橋)


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さらに町を望む、(ドォウーモのクーポラ)

2012年9月20日

フィレンツェで

いよいよフィレンツェで行動開始です。
アパートのすぐ裏手にピッティ宮殿というとてつもなく大きな建物がありビックリです。
この宮殿は一五世紀後半に繁栄を極めた商人ピッティの私邸で、後に歴代のトスカーナ大公が住む宮殿となった。

この前を通って、今日はウッフィツィ美術館へ行った。
ウフィッツィ美術館はメディチ家が所有する美術品を集めたもので、世界有数の珠玉のコレクションで、チマブーエ、ジョット、ボッティチェリ、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエッロ、レンブラントの作品等々がある。
連日入場者が長蛇の列を作り、入場に1-3時間並んでいるのは当たり前と聞き、朝8時15分の入場を予約していたのでかなり楽に入れて、すいているうちに見ることができた。
キリストの降誕を予告する「受胎告知」、「聖家族」「キリストの磔刑」やルネッサンスの「美人裸婦画」、トスカーナに繁栄をもたらした「メディチ家の人々の肖像画」が多かった。

帰宅時、お気に入りのスーパー(CONAD)へよって食料品等を買い物して帰った。
「いくらですか?」「一つください」、「二つください」、または「十分です」等、妻がにわか仕込みで覚えたイタリヤ語でいいます。そうすると相手もニコニコして答えてくれて、最後に「グラツェ!(ありがとう!)」といいます。妻も「グラツェ!」というので私も追いかけて「グラツェ!」(たった一つの知っているイタリア言)を言って会話したつもりで満足です。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
        第2テサロニケ人への手紙5章16-18節

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朝のピッティ宮殿


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午後7時半頃、夕日が落ちるアルノ川

2012年9月18日

ながーい一日でした

昨日は朝3時に起きて、10時30分成田空港発のスイスエアーでスイスのチューリッヒ乗り継ぎ、花のフローレンス(イタリア語ではフィレンツェ)に着いてアパートタイプのホテルの部屋に入ったのが現地時間午後8時(日本時間朝の午前3時)でした。ながーい一日だった。

本当は昨日が結婚記念日でした。でもハードな移動日だったのでお祝いをするどころではなかった(どちらかというと忘れていた)。
幸い私たちはツアーでないので、今日は予定はないから朝起きたら街を少し見て歩き、何か結婚の祝いができることをしようと話し合った。

40年間を振り返って、30年はシンガポール、香港、マニラで生活し本当に苦労をかけた。神様の守りと、多くの方の支えをいただきこの日を迎えることができ感謝しています。

今日は、朝スーパーへ行って当面の雑貨を買い、そのあと初めてのバスに挑戦し、現地の市場(サンタン・ブロージオ市場)へ行って果物や食料品を買った。肉や野菜はとても豊富で安いのに驚いた。昼食を市場の食堂で食べたのだがうまくオーダーできなく(イタリヤ語が十分使えないため)気に入ったものが食べられなかったのは残念でした。
帰りもバスに乗って、アルノ川をトリニティー橋を渡ったところで降りた。そのバス停前にジェラード屋さんがあったのでコーヒーとピスタチオのミックスジェラードをひとつ買って2人で食べた、これがとても美味しかった。
街の散策もしたが、食べることにほとんどを費やした1日でした。

「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。」
         フィリピの信徒への手紙4章8節

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12時間かけてチューリッヒへ、シベリアの上空を


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アルノ川に架かる最も古く、有名なベッキオ橋へ行く道、朝の光景


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市場には豊富な野菜、果物が、また変わったものも多くて楽しい


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ジェラード屋さん、可愛い娘さんたちで混んでいる

2012年9月13日

旅に出る

来週は旅に出ます。
実は結婚40周年を記念して、しばし日本を離れてイタリヤのフィレンツェで少しゆっくりと美術館巡りをしたり、建築物を訪ねたり、アグリツーリズモでワイナリーに行ったりしようと思っている。
ツアーに任せるのではなく、個人で2週間ばかり現地の自炊できるアパートを借りて住む予定です。それで、少し準備がいつもと違うので大変ですが、これは楽しいことです。
現地到着後早々の食料、また食器用洗剤、調味料等の準備です。

狭山市の友人KYさんは地域包括センター主催の高齢者支援のプログラムに参加し、70-80代の方々7~8人グループで自分たちが旅行を計画し実行することで生活の活性化、認知症防止を行っているそうです。

確かに、今回の旅(準備)で私たちもすでに活性化されました。特に女房殿にとっては、3ヶ月前から旅の予約をし、お金を払い込んでいるので、私が間際になって病気になって入院したりして本当に行けるのか、キャンセルしなければいけないのかと心配して、心労が絶えなっかたようです。(すみません)最終的には祈って、神様が導いてくださることに従いますと心を決めたそうです。これも活性化の一つ?


「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」
             詩篇46篇10節

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フィレンツェでのアフタヌーンティーも楽しみです

2012年9月 5日

恵みの雨に

毎日暑い日々が続いて畑はカラカラに乾燥していた。
祈る思いで雨を待った。
やっと最近夕立や集中豪雨があり、畑にとってこれは恵みの雨です。
どうにか秋冬野菜の種まき(人参、大根、レタス、ほうれん草、京水菜等々)ができるので本当にホッとしている。

しかし場所によっては集中豪雨で多くの被害を受けたところもあるようだ。
近いうちのイタリアを旅行したいと思っているので、何かイタリヤに関する本を少なくとも1冊読みたいと思った。

そしてマキャベリの「君主論」を読んだ。
彼は運命について、「運命の女神と言われ女性の象徴であり、文字どうり人間の力ではどうしようもないものと思われているが、運命の半分近くは我々の支配に任せてくれていると見るのが本当だ」と言っている。

聖書のルカによる福音書にある「雨が降って洪水になってもその家は流されない」という話を思い出した。
聖書の神は災害時も運命として諦めるのでなく、災害に対して備えが必要であり、半分は人の力でなんとかできると言っているようだ。
畑に対する、日照り対策も今後の課題として何か対策を考えようと思う。

「わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。」
          ルカによる福音書6章47,48節


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雨上がりの朝焼け、午前5時半ごろ(海老名市庁舎)


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やっと蒔いた白菜の種が芽を出した

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