« 2012年5月 | メイン | 2012年7月 »

2012年6月27日

みんな仲良し


「6月20日、日本と中国が共同で行った世論調査の結果が発表され、中国に対し、よくない印象を持つ日本人が、 調査を始めてから最悪の84%となる一方、日本によくない印象を持つ中国人も65%に上ることが 明らかになり、日中双方の国民感情の悪化を改めて浮き彫りにしています。」 との発表あり。

数週間前から、畑で作業をしていると畑に来て話をする中国人がいます。
私も挨拶程度の広東語はわかるはずですが、彼の言葉はどうも理解できませんでした。
たまたま隣家のTG翁が満州にいた事があるということで紹介したら、すぐ親しくなりなんとか会話が成立し、いろいろの事情が分かるようになった。
「山西省(北京の西の内陸部)出身で娘婿さんが東京の会社に転勤できている。そして娘さんの出産手伝いに夫婦できて、隣の団地に住んでいる」と。

TG翁は、現在は日中関係もこんな状態だが「昔はすべての日本人が中国人を嫌っていたわけではない、中国人にも優しかったと言って、ある昔の話をしてくれた。」
そして、昨日その中国人(友人と共に)を連れてと鵠沼海岸にある一人の中国人の墓碑を見に行った。

それは聶耳(ニエアル)氏です。
中国の輩出した若き天才音楽家です。
 「義勇軍行進曲」を作曲した年の1935年(昭和10年)、日本を訪れていた聶耳は7月17日の午後、友人と遊泳中の鵠沼海岸で帰らぬ人となった。
「義勇軍行進曲」は1949年(昭和24年)に中華人民共和国の国歌となりました。
現在、藤沢市と聶耳氏の故郷、昆明省は姉妹都市となっている。

こんな形で私たちも小さいながら草の根の外交をしています。
個人個人はみんな仲良しなのに、どうして体制、組織が入ると問題が起きるのだろう。

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」

        コロサイ人への手紙3章13,14節

記念広場.jpg

左からKさん、Jさん TG翁(日本人)


記念碑の由来.jpg

藤沢市長、葉山氏のメッセージ

2012年6月23日

自然に学ぶ

6月20日夜、台風4号が関東を直撃した。
私の農場も風の通り道、ナスの枝が折れたりズッキーニが折れたり野菜がだいぶ被害を受けた。お隣さんのジャガイモ畑の土が飛ばされて、芋がむき出しになってしまった。

トマトのビニール屋根も飛ばされた(以前も飛ばされたので再度強度を増したが)。
畑友達も、すまなそうに『今回の風は強すぎたね!』と言ってくれた。

ともかく自然の猛威はすごい。
自然を相手に生活をする人達(農家)はこのような経験を何度も何度もしてきたのでしょう。特に、最近の自然災害はなんとなく規模が大きくなってきているように感じる。
人にはなんの打つ手もない。
人間の限界を感じる。

人は種を蒔き、土を耕し(肥料を与え)、水を注ぐことしかできない。
成長させてくださるのは神です。

幸いにトマトの茎は柔らかいので折れることなく倒れただけだった。
感謝。

「 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。」  
          ピリピ人への手紙1章6節


黒豆の芽.jpg

昨年収穫した丹波の黒豆が芽を出した、今年もおいしい黒豆を夢見て


ノーザンルビー.jpg

赤い色のジャガイモ(右下)、ノーザン・ルビーという新種でサラダに色を添える

2012年6月16日

タイタニックに学ぶ

タイタニック号の遭難から100周年ということでTVや雑誌で話題になっている。
100年前、時の技術を駆使して完成された不沈船、豪華客船がイギリスから大西洋をわたってニューヨークに行く途中、北の海で氷山にぶつかり1500人近い人が亡くなった。

沈みゆく船上で、最後まで賛美歌「主よみもとに近づかん」の演奏を続け、亡くなっっていく音楽隊のシーンが感動だった。
最後まで責任を全うするプロの仕事の場面だ。

見た目にはどんなに堅固でも、みんなが安全といっても人の手になるもので絶対に安全はありえない。
福島第一原発事故(全員退去しようとしていた?)にも欲しかった東電の態度。
せめて後始末だけでも国民が納得いくようにして欲しい。

福島原発で取り返しのつかない事故が起きたまま、今また大飯原発の再稼働を決めた。この事故からなにを学んだのだろうか?
そして、これから日本はどこへ行くのか?


 讃美歌320
 
  主よみもとに 近づかん
  のぼるみちは 十字架に
  ありともなど 悲しむべき
  主よみもとに 近づかん

雪山.jpg

トルコのコンヤ高原からアーモンド畑と雪山(4月)

2012年6月 9日

海老名の田植え

いよいよ梅雨もまじか、田んぼに水が入り、海老名でも田植えが始まった。

普段見かけない人たちが田んぼに出てきて働く姿を見かける時期だ。
2週間前にコンバインで土を掘り起こした。
そして田んぼに水が入り水が行き渡ったら再度まんべんなくコンバインで耕す(田植えの2~3日前)。稲の苗はJA(農協)で作られたものを購入し、家族総出(サラリーマンの息子が、孫たちを連れて手伝いに来たのでしょう)で田植えです。

農家にとって年に数回のイベントの一つです。
今夜は「家族全員で乾杯!」だ。
農業文化を守り、家族の絆を強めるチャンスが海老名に残っている。

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」
              マタイによる福音書24章32,33節


家族農業.jpg

孫たちも嬉しそうに手伝っている


鳥.jpg

青色あじさい.jpg

なに?.jpg

朝の散歩で見かけた鳥、沿道に咲き始めたアジサイと綺麗な花。

2012年6月 2日

母を訪ねて

先週、週の初めに山梨の北杜市の母を訪ねた。
私の実兄夫婦は2年前に家業をリタイヤーして横浜の緑区から、南アルプスや八ヶ岳を仰ぐこの北杜市に母を伴って引っ越した。母は来年百歳になるが元気だ。しかしボケが進んでいて私達がが息子であり嫁であることがわからない。どこかのお客さんが来たぐらいにしか思っていないようだった。血を分けた親子でもこのようになるのかな
と、寂しさはあるが社会はこれでいいのかもしれない。

兄はもともと大工なので、300坪ほどの傾斜地を購入し、自分で造成し住まいを建てた。朝晩は寒さが残る地であるので床暖房を施し、老人のためにバリアフリーにしてあった。
また、日常の生活費がかからないようにとの配慮で、屋根に太陽光発電、雨水は集めて散水や下水に、周りは農作物の畑にと考えて作っていた。エコをよく考えた家だ。

一泊して、帰途甲府駅に降りて山梨県立美術館に寄った。
ここは日本では「ミレーの美術館」として知られていて、ミレーの絵画の常設展となっている。農村風景を描いたのどかな美しい「種まく人」「落穂拾い」その他が人気だが、とくに「落穂拾い」は旧約聖書のルツ記が題材になっている。貧しい寡婦や寄留者に落穂を残して、自由に拾えるような社会システムがあった。
貧しい人や困っている人を、人格を傷つけないで、何気なく助ける社会は素晴らしい。


「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。・・・・・・・これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。わたしはあなたたちの神、主である。」
       レビ記19章9、10節

家002.jpg

兄の自作の家


南アルプス019.jpg

南側に見える南アルプスの山々


レタス畑021.jpg

周りはレタスや、小麦、大麦の畑とカラマツ林


ミレー画.jpg

ミレーの「落穂拾い」

Copyright (C) 2006 by Bible Ministry Co. All rights reserved.