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使徒パウロの足跡をたずねて

10日間をかけてパウロの生まれた国と、2000年前に彼が類まれな情熱を持って歩いた幾つかのトルコの町々をたどった。
聖書に記載されている名の街、カッパドキア、イコニウム(コンヤ)、ラオデキヤ(パッムカレ)、エペソ(エフェソス)、スミルナ(イズミール)、トロアス(トロイ)等である。

今現在はトルコでイスラム教徒が98%と言われ、その他キリスト教徒、ユダヤ教徒がいる。
1928年、ケマル・アタチュルク大統領の為政時に、政教分離の政治の下イスラム教は国教ではなくなった。
もちろんパウロの宣教したローマ帝国時代のようにキリスト教会は多くはない。

また私が唯一会話を交わしたトルコ人、GSさん(ツアーガイド)はもちろんイスラム教徒だと公言していました。しかし、カッパドキアの洞窟聖画やそこでのキリスト教徒の生活を詳しく、熱心に説明してくれた。またエフェソスの近くにある聖母マリヤの墓の説明、オスマントルコに建てられたブルーモスク(1500年頃)よりアヤソフィヤがいかに優れているかを説明するときの顔が輝いているようだった。
イスタンブールのアヤソフィア聖堂(紀元400代にキリスト教会として建てられたが、オスマントルコによって内壁の聖画を漆喰で上塗りされ隠されイスラム寺院として使われたていた)が今、漆喰が剥がされキリストを抱くマリヤの聖画が現れている。

さらに、初代大統領アタチュルクの政教分離政策により国民がどんなに自由になり、大統領を尊敬しているか、また自分はモスクに定期的に行ったり、定められているようにメッカに向かって日に5度膝を屈めることはしない、なぜなら信仰は心の中のことだからであると言っていた。

これこそパウロが伝えたかった「イエスの教える自由な信仰」ではないか。イスラム教徒でもイエスを信じることはできる。
イエスを信じたものは聖霊を受ける、その聖霊を受けるということは奇跡を行なったり、異言を語ったりすることもあるが、何よりも大切なのは「栄に満ちた喜びで満たされる」ことだ。

トルコも時が来れば徐々に、パウロの血と涙の結晶が近い将来もう一度に現れてくることを期待する。そんな時が必ず来る。

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。」
     ペテロの第1の手紙1章8節

地図.jpg

トルコ共和国の地図


洞窟ホテル.jpg

岩山を掘り抜いて居住していた、室内は一年中16,7度Cで快適
クリスチャンはローマ帝国の迫害を受けて、カッパドキアの洞窟に隠れた


エフェソス.jpg

エフェソスの港(パウロの時代、実際はもっと内陸にあった)のレストラン


エフェソスー1.jpg

ギリシャ・ローマ時代には世界7不思議の一つであった。巨大なアルテミス神殿の回廊柱。偶像の街でパウロは大胆に宣教していた


トロイ戦争.jpg

紀元前3000年頃から古代エーゲ海の交易の中心地、紀元前1200年ギリシャとの10年戦争「トロイ戦争」でギリシャに敗れる。ホメロスの叙事詩「イーリアス」に。パウロも木馬を見ただろうか?そしてマケドニア(ヨーロッパ大陸)渡っていったのだろうか?


ヨーロッパ側.jpg

トロアスから船でマケドニア(ヨーロッパ大陸)に渡ったところ


アヤソフィア聖堂.jpg

イスタンブール(コンスタンチノープル)に東ローマ帝国時代、紀元400年代に建てられたキリスト教会、アヤソフィア、オスマントルコが征服した後イスラム教のモスクになった、そしてトルコ共和国になってから一部元に修復が行われ、現在博物館となった
パウロの宣教の成果が壁画に塗りこまれているようだ

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