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教会とは(2)

4、ではキリストの教会とは?
イエスさまは「2人でも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18,20)

イエスの時代以前ユダヤ人たちはエルサレムの神殿で礼拝していました。しかしイエスさまは水を汲みに来たサマリヤの女に、
「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういうときが来ます。*****
神は霊ですから、神を礼拝するものは、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4、21-24)

フィリップヤンシーが「教会、なぜそれほどに大切なのか」の中で、
「教会は、楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心を育てたり、友情を育んだりする場所ではなく、神を礼拝するところである。」といっている。

マックス・ルケード著「みことばの宝石」に、
「天においては、日曜日の朝も、水曜日の午後も同じです。神は仕事場でも教会においても同じく語り、聖餐式の時も夕食の席でも神をたたえることを望んでおられる。」

現代人は、日曜日の礼拝に出れば月曜日から土曜日までの生活がどうであろうとも礼拝したと考える。礼拝は時間や場所が移されただけでなく、イエスの時代に礼拝していた家庭や仕事場から教会堂に変わってしまったのです。

教会堂が教会ではないのです。
キリストの「教会」は,特別な場所や特別な日にする集会でもなく、神を礼拝するところです。

5、教会に属する人はどういう人か?
キリストを主と告白した者、すなわちクリスチャンは主の遺言(大宣教命令)を守る人たちです。
イエスを信じた人は「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28,19-20)を遂行する人です。

そして、「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Ⅰペテロ2,9)と大使徒ペテロは行っている。全てのクリスチャンがイエスを伝えるのです。それはあなたであり私なのです。

ステパノが殺害された時、エルサレムで激しい迫害が起こりました。
使徒以外の者は諸地方に散らされていった。『散らされた人たちは、「教会」を携えていった。』(使徒行伝8,4)とある作家は書いている。


「これからの日本の教会の伝道」加藤常昭著
「一人の人のために伝道者は出て行かなければならない。***
教会は出て行くのです、主に派遣されて出て行くのです。」

私は「出前礼拝」と名付けたいと思います。宣教の方法はその土地、その時代の文化に応じて為されるほうが効果があります。高齢化時代に、遠くから教会に通ってきなさいというより、その地、家へ出て行って礼拝が為されることはふさわしい事です。

6、では説教者(牧師)がいなければ教会ではないのでしょうか?
パウロはコリントの教会へあてた手紙で、
「あなたがたが集まる時には、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。その全てのことを、徳を高めるためにしなさい。」(Ⅰコリント14,26)
一人の人(牧師)が説教するのではなく、みんなが上下なくそれぞれの与えられた賜物を用い相互的会話が交わされ、愛し合う群れであるとしている。

また、Ⅰヨハネ2,27
「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。」

フィリップヤンシーは「教会、なぜそれほどに大切なのか」の中で説教についても書いている。
「カトリックの礼拝では、ほとんど説教を重要視しない。彼らにとっては、聖餐式の聖体や、ミサが礼拝の中心で、司祭はプロンプターとして仕えるのである。」と

7、ハウスチャーチは「教会」です。
しかし、既存の教会と違うのは
①小さいことが良いことです。(2-10人位であれば集まり、交わり、が親密で自由で、秘密保持が出来る)
②一人一人が主役です。(神様のみ声を各自が直接聞き、輝く人生を送ることが出来る)
③経済的に負担が少ない。(会堂取得、維持費や牧師謝儀が不要です)
④教派教団に属しません。
⑤それゆえ、何よりも「いつでも、だれでも、どこでも」出来ることです。

新約聖書の時代にあったと同じような、万人祭司を徹底する(洗礼式、聖餐式、葬儀、結婚式等を行う)小さな群れ、共同体、グループです。


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マニラのマカティの一等地にあるカトリックの教会堂。真ん中に祭壇がありまわりに会衆席がある。司祭も信徒も一緒に神の声を聞く。
365日24時間開放されているため、いつでも祈っている人がいる。

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Ken Joseph Jr.著

彼は日本を代表するNGO「日本緊急援助隊」の代表である。又、一外国人でありながら日本人のルーツを調べ、日本人の心のふるさとが聖徳太子以前からキリスト教に多大な影響を受けていることを発見した。おどろきである。
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