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2009年2月26日

楽しみを先におき

今年は大山、丹沢山系が白く見える日が多いような気がする。
2月も終わりに近づいたが、最近毎日寒い日が続いている。
なおさら春が待ち遠しい。
こんな時は何か楽しいことを計画すると「春を待つ気分」になる。

シンガポールや、フィリピンのような南方の国々では12月が過ぎると13月が来る。季節の切れ目がないので、いろいろな楽しい事を計画してメリハリを付け人生をたのしんでいる。

実は私も先の喜びの計画を立てている。
3月20日は神学校を卒業する(元私の勤めていた会社の重役を務めた)HKさんの人生の転機を聞きに行く、4月はTKさんのレストランでのフルートコンサート(オードブルとワイン付)に行く予定。
うれしい春です。

「見よ。わたしは新しい事をする。
今、もうそれが起ころうとしている。」
          イザヤ書43章19節


冬の樹.JPG

相模川の土手の木々も寒さに耐えて春を待つ


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早咲きの桜(河津桜)が三川公園への散歩道に2本だけ咲いている

2009年2月21日

教会とは(2)

4、ではキリストの教会とは?
イエスさまは「2人でも3人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18,20)

イエスの時代以前ユダヤ人たちはエルサレムの神殿で礼拝していました。しかしイエスさまは水を汲みに来たサマリヤの女に、
「あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういうときが来ます。*****
神は霊ですから、神を礼拝するものは、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4、21-24)

フィリップヤンシーが「教会、なぜそれほどに大切なのか」の中で、
「教会は、楽しみを供給したり、弱さを励ましたり、自尊心を育てたり、友情を育んだりする場所ではなく、神を礼拝するところである。」といっている。

マックス・ルケード著「みことばの宝石」に、
「天においては、日曜日の朝も、水曜日の午後も同じです。神は仕事場でも教会においても同じく語り、聖餐式の時も夕食の席でも神をたたえることを望んでおられる。」

現代人は、日曜日の礼拝に出れば月曜日から土曜日までの生活がどうであろうとも礼拝したと考える。礼拝は時間や場所が移されただけでなく、イエスの時代に礼拝していた家庭や仕事場から教会堂に変わってしまったのです。

教会堂が教会ではないのです。
キリストの「教会」は,特別な場所や特別な日にする集会でもなく、神を礼拝するところです。

5、教会に属する人はどういう人か?
キリストを主と告白した者、すなわちクリスチャンは主の遺言(大宣教命令)を守る人たちです。
イエスを信じた人は「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。」(マタイ28,19-20)を遂行する人です。

そして、「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(Ⅰペテロ2,9)と大使徒ペテロは行っている。全てのクリスチャンがイエスを伝えるのです。それはあなたであり私なのです。

ステパノが殺害された時、エルサレムで激しい迫害が起こりました。
使徒以外の者は諸地方に散らされていった。『散らされた人たちは、「教会」を携えていった。』(使徒行伝8,4)とある作家は書いている。


「これからの日本の教会の伝道」加藤常昭著
「一人の人のために伝道者は出て行かなければならない。***
教会は出て行くのです、主に派遣されて出て行くのです。」

私は「出前礼拝」と名付けたいと思います。宣教の方法はその土地、その時代の文化に応じて為されるほうが効果があります。高齢化時代に、遠くから教会に通ってきなさいというより、その地、家へ出て行って礼拝が為されることはふさわしい事です。

6、では説教者(牧師)がいなければ教会ではないのでしょうか?
パウロはコリントの教会へあてた手紙で、
「あなたがたが集まる時には、それぞれの人が賛美したり、教えたり、黙示を話したり、異言を話したり、解き明かしたりします。その全てのことを、徳を高めるためにしなさい。」(Ⅰコリント14,26)
一人の人(牧師)が説教するのではなく、みんなが上下なくそれぞれの与えられた賜物を用い相互的会話が交わされ、愛し合う群れであるとしている。

また、Ⅰヨハネ2,27
「あなたがたのばあいは、キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・その教えは真理であって偽りではありません。」

フィリップヤンシーは「教会、なぜそれほどに大切なのか」の中で説教についても書いている。
「カトリックの礼拝では、ほとんど説教を重要視しない。彼らにとっては、聖餐式の聖体や、ミサが礼拝の中心で、司祭はプロンプターとして仕えるのである。」と

7、ハウスチャーチは「教会」です。
しかし、既存の教会と違うのは
①小さいことが良いことです。(2-10人位であれば集まり、交わり、が親密で自由で、秘密保持が出来る)
②一人一人が主役です。(神様のみ声を各自が直接聞き、輝く人生を送ることが出来る)
③経済的に負担が少ない。(会堂取得、維持費や牧師謝儀が不要です)
④教派教団に属しません。
⑤それゆえ、何よりも「いつでも、だれでも、どこでも」出来ることです。

新約聖書の時代にあったと同じような、万人祭司を徹底する(洗礼式、聖餐式、葬儀、結婚式等を行う)小さな群れ、共同体、グループです。


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マニラのマカティの一等地にあるカトリックの教会堂。真ん中に祭壇がありまわりに会衆席がある。司祭も信徒も一緒に神の声を聞く。
365日24時間開放されているため、いつでも祈っている人がいる。

2009年2月15日

バレンタインデー

今年もバレンタインの朝、次男のお嫁さんからチョコの宅配便です。
義理チョコでなく、心からのギフトはいつもらっても嬉しいものです。

聖路加国際病院理事長の日野原重明さんは、チョコレートもココアもともにカカオ豆からとれたもので、ポリフェノールが含まれている。ポリフェノールには動脈硬化を抑えたり、がんの発生をとどめる働きがある。チョコレートは若者向けにとどまらず、高齢者にも十分にとってほしい食物です。
バレンタインデーには、若者がお年寄りにチョコレートを送ることを広めましょうと提案されています。大賛成。


「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。」
   コリント人への手紙 第1 13章4-6節


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宝石のようないろいろな形、味のチョコ


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白梅、まだまだ寒いから風邪に気をつけましょう

2009年2月11日

いい日だった

すこやかな時も、病める時もこれを愛しますか?

教会で結婚式がありました。
大和カルバリーチャペルで大川従道牧師の司式で、坪井永代副牧師と小泉香さんの結婚式でした。わたし達は新婦側の席に座り、この結婚を心から祝いました。小泉家の方々とは香港で数年間ともに香港日本語キリスト教会で親しくお付き合いさせていただきました。

新婦は大学で神学を修めただけでなく、ピアノもフルートもプロ級です。何よりもこの日のために今までの人生を整えてきたように思えます。この日はこれからの歩み(伝道者として)の始まりですが、本当に神の導きと思える出会いをし、ここに結ばれたのです。
新郎は福島県出身で幼い時からのサッカー少年、大学卒業後2年間アルゼンチン、ブラジルに留学して、本場のサッカーを見、神学を学んできた青年です。

主の祝福で満ち溢れています。
ご結婚おめでとう!


「わが愛する者、美しい人よ。
 さあ立って、出ておいで。
 ほら、冬は過ぎ去り、
 大雨も通り過ぎて行った。」    雅歌2章10節

花嫁.JPG

美しきかな!


花嫁と家族.JPG

最高のかお、かお、かお


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500人位の祝い客でしたでしょうか、教会の準備も万端でした。

2009年2月 7日

心に楽しみを

私は毎週水曜日、お茶の水まで出て同じ場所で同じ時間にKYさん(40数年前の学生時代の友) と昼食を共にする。毎週楽しみです。
先週はその場所に若くてもその道では著名なFMさんを招いて共に食事と語らいを楽しんだ。
帰宅して、パソコンを開けるとFMさんからお礼のメールが入っていた。メールの中に「60代半ばになっても毎週会うような友人が、僕にはできるかなあ」とありました。

最近の日本社会は離婚率が3カップルに1カップル(アメリカは2カップルに1カップル)になっているし、自殺者が毎年3万人を下らないというような大きな社会問題を抱えている。
高度経済成長時代にみんなが富を追い求て全エネルギーを投入し、生活にゆとりがなくなった。夫婦の会話がなく、家族の団欒も消え(仕事に没頭すること、勉強に精を出すことは悪いことではないが)、まして仕事に関係ない友とゆっくり合う時間などなくなった。

栄華を極めたソロモン王の言葉に、
「私は再び、日の下にむなしさのあるのを見た。
ひとりぼっちで、仲間もなく、子も兄弟もない人がいる。それでも彼のいっさいの労苦には終わりがなく、彼の目は富を求めて飽き足りることがない。そして、『私はだれのために労苦し、楽しみもなくて自分を犠牲にしているのか。』とも言わない。」

100年に一度の経済危機といわれる今日、まさに人の関係を回復する絶好のチャンスだ。今こそ夫婦の、親子の、友人との関係を時間をかけて回復する時ではないか。危機はチャンスです。


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東海道線二宮駅吾妻山公園、パステル・イエローの菜の花に春の希望を感じる


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菜の花畑


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菜の花畑の外にまだつぼみの桜の木、その向こうに丹沢連峰を望む

2009年2月 1日

セレンディピティー

「Serendipity」を辞書で引くと「思わぬ発見をする才能」とあり一般に「偶然性」と訳されている。しかしある方がこれを「出会い性」と訳した。私はこの訳が好きです。

そもそも「Serendipity(セレンディピティー)」とは造語で、「Three Princes of Serendip 」というペルシャのおとぎ話から来たものだそうです。この話の主人公にこのような思わぬ発見をする才能があったとのこと。

古くはアルキメデスの法則の発見に始まり、ペニシリンの発見、さらに田中耕一さんのノーベル賞に繋がったたんぱく質のイオン化の発見までが、失敗や、日常のひょっとしたことから、新しいものに出会うというセレンディピティーに関連しています。

私自身、20代の時自分の心の汚さ、心の闇に罪を感じ、命を損なう程落ち込んだことが神との出会いでした。私の人生で最も大いなる出会いでした。


「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
         詩篇119編71節

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夕日が相模川の川面を照らす


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落葉の樹に落ちる夕日

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