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2007年12月26日

もう正月の準備?

 クリスマスが終って少し余韻に浸っていたいと思った。
しかし、TVがいやおうなしに正月準備の紹介をしている。
アメヤ横丁の正月食品売り場、各地の門松飾り風景等、町の商店は完全にお正月の準備で追われている様子を。
日本全国がTVによって生活ををリードされているようだ。
TVの生活への影響力のすごさを感じないわけにいかない。

 そういえば明日、我が家も白菜でキムチを漬ける。
恒例となった正月の準備です。
キムチは納豆、ヨーグルトと並ぶ発酵食品で寒さだけでなく消化に良いそうだから。

   「欲望は絶えることなく欲し続ける。
     神に従う人は与え、惜しむことはない。」
                箴言21章26節

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畑に一本植わっている黄金の実をつけた夏みかんの木

2007年12月22日

クリスマスプレゼント

「教会でもクリスマスするのー!」
「うっそー!」
そんな会話が聞かれ、
また11月末の新聞で、「クリスマスの飾りつけが早すぎるのではないか?」という投書を読んだことがある。

 クリスマスは全ての人(何も良いことができない人も、いや多くの悪い事をしてしまった人でさえ)待ちに待ったハッピーな日なのです。
神様が大きな愛と犠牲を払って、救い主イエスキリストをこの世に送って下さったからです。神の愛が見える形で私達に与えられたのです。
それは、だれでもが無償で受ける事が出来る愛なのです。

フィリピンでは9月の終わりから飾り付けをしてこの喜びの時を待ちます。
彼らが心から待ち望むように、本当のクリスマスの意味を知って、このプレゼントを受け取ってほしい。

「御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。』」
            ルカの福音書2章10節


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広場のクリスマスツリー、ヨーロッパの町(TVより)


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暖炉の火を見つめながらの静かなクリスマスもいいものです。


2007年12月19日

クリスマスツリー

 クリスマスツリーにかかるきらきら光るもの<モールなど)は何を意味するのだろう?
イエス様が誕生した時、ヘロデ王は2歳以下の赤ん坊を殺すように命令を出した。ヨセフとマリヤは赤子のイエスを連れてエジプトへ行く道中で洞窟に隠れた。神はクモを送って洞窟の入り口をクモの巣で覆った。そこに夜露が降りて月明かりで光っていた。ヘロデの兵士達はクモの巣がかかっている洞窟は長い間だれも入ったことがないと思い通り過ぎていった。
最近聞いたクリスマスの伝説の話

クリスマスツリーのきらきらはイエスを守った神の遣いです。
恐れなくていいのです、あなたはイエスによって守られています。

「見よ、主の使いが夢でヨセフに現われて言った。『立って、幼子とその母を連れ、エジプトへ逃げなさい。そして、私が知らせるまで、そこにいなさい。ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしています。』そこで、ヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトに立ちのき、ヘロデが死ぬまでそこにいた。」
       マタイの福音書2章13-15節


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横浜駅西口、ジョイナスの広場のクリスマスツリー

2007年12月13日

12月12日の「聖書を読むかい」 ハウスチャーチじゅらく

 12月12日(水)、御茶ノ水のホテルじゅらくの2F「レストラン地中海」で毎週水曜日、昼食後行っている「聖書を読むかい」の今年最後の会がもたれました。
過去1ヶ月くらいかけて読んできた旧約聖書の「コヘレトの言葉」の最終章、第12章を読んで終わりました。
コヘレトの言葉は、ダビデの子ソロモンの言葉と考えられています。ソロモンはこの地上では権力はもとより最も知力、財力に富んだ王でした。そんなソロモンが現代の私達に語る言葉はとても示唆に富むものです。

冒頭から「空の空」(新改訳聖書)と言っている。全体を貫く考えは「空の空」でどんなに大事業をしても、知識を得てもすべて、もし神を信じていなければ空しいといっている。
仏教の「般若心経」においても「色即是空」で、いろかたち有るものは、空であると、仏教もキリスト教も同じように「空」を説いている。

牧師が読みとく「般若心経の謎」大和昌平著に仏教とキリスト教の「空」の違いを説明している。
”般若心経はどこまでも心を指向している。心のうちに空なるものを見ぬくのです。空なる真理をつかんで、囚われなく生きていくのですと。
これに対して、イエスはどこまでも天の父を指向しています(空の鳥をみよ、野の花を見よ)。私が生きることを喜び、祝福しようとされている天の父を仰ぎ、大きく委ねて生きようと言います。”

また、こうも言っています。
”般若心経の仏教はすべて相対的なものであって、絶対的なものはない。
これに対し、キリスト教は絶対的な創造主がすべてをあらしめた。絶対的な神の前で、人間は相対的であることを知り、自ら空なることを覚えるのです。”


「すべてに耳を傾けて得た結論。
『神を畏れ、その戒めを守れ。』これこそ、人間のすべて。」
          コヘレトの言葉2章13節
     

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初冬の落日、相模川の向こうに


ソロモンの花.JPG


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栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。


2007年12月 6日

Joy Season

 アドベント(待降節)頃になると例年クリスマスカードを用意する。
我家は長い海外駐在(東南アジア)の間、年末年始のご挨拶はクリスマスカードを送っていた。日本に帰った今もそれが我家の慣習となってる。クリスマスカードは、自分たちの思いやニュースだけでなくデザインをも織り込むことが出来るので、作るのが楽しみなのです。

 「教会でもクリスマスするの?」と言われるこの頃ですが、日本では年末年始の挨拶を牧師さんでもクリスマスカードでなく官製年賀はがきをもってするのが多いようです。そんな社会風習なのに、クリスマスカードで年末年始のご挨拶にするのはどうしたものかと悩みつつ今年もクリスマスカードを用意した。

 実は、クリスマスカードを作るために夏過ぎからそれとなくアイデアを考えています。しかし今年はいろいろな事があったのだがどれにするか、カードとしてのアイデアを決定しかねていた。
たまたま写真印刷はじめいろいろできるコピー機を購入した。それで複雑なコピー機に挑戦するということで、手始めに今年は写真をカードにしようということになりました。

そしてこれらのカードを通して、疎遠になっている友とコミュニケーションができることがまた何よりの喜びです。


「見よ。おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
          マタイの福音書1章23節

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今年一番に受け取った木製カード、TNさんからのもので木を焼いてつくったものです

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団地内のイチョウ、モミジも今年最後の装いです。


2007年12月 2日

アドベント

 今日からイエス・キリストの誕生を待つ4週の始まり、待降節(アドベント)です。

久しく待ちにし 主よ、とく来たりて
み民のなわめを 解き放ちたまえ
主よ主よ、み民を すくわせたまえや

(讃美歌94)

現代は格差、拉致、汚職、殺人、自然災害等々暗く曲がった時代のただ中にある。どこに光があるのか分からない、不気味な闇に覆われている。
クリスマスはすべての人に明るい光を投げかける時です。
だれもがこの光を受ける事が出来ます。

「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」
     ルカの福音書2章8-10節


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羊飼い達が星夜に主の声を聞いた


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アドベントの最初の日曜日は一本のろうそくを灯す、そして週ごとに一本ずつ追加していく

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