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哲学の道

 京都に西田幾太郎が愛した、「哲学の道」という散歩道があるそうです。
四季折々に草木の花が咲き散歩人を楽しませてくれるとのこと。

中世の修道院の中には「祈りの回廊」というのがあって、歩きながら祈るのです。何の変哲もない道の方が良く祈れるそうです、当然気が散らないからです。
私も相模川の土堤を散歩するのが好きです。哲学者風に片手をポケットに突っ込んで、ハットを深くかぶり考えながら歩くと、時にはブログのためのひらめきがある。
しかし、いまどき早咲きの桜が咲いていたり、梅に鶯らしき鳥が止まっていたりするとすぐ写真に収めたくなり哲学どころではない。
周りを見ないようにして歩いてみるんだがやはり、「今晩のおかずは何かな?」とか雑念が入る。哲学は難しいまだ修行が足りないようだ。

パウロがギリシャ哲学に精通していたアテネの人と議論した時、肝心の時、「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、他の者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう』」(使徒の働き17章32節)と逃げられてしまった。
哲学はとにかく難しい。


さくら -2.JPG

早咲きのさくら


さくらー4.JPG

「感動する道」では哲学できないのだろうか

コメント

心なごむ桜色ですね。
「感動する道」その方が哲学出来るのでは?
何にどう感動したか、その源は何か、
自分や周囲へ語りかける意味は、応答は…。
果てなく哲学しそうになる時、
聖書のことばが答えとして神さまの視点と思いを
伝えようと、風に乗って届くのかな。
さも、もっともらしく書いちゃいましたね。すみません。
柔らかい心の耳を傾けたいなぁと思います。

ひらめきは一瞬の感動、信仰は永続的な感動です。メッセージも説教者が感動したもの(教理でなく)だから伝わると言われています。
聖書のことばにまず自分が勇気や喜びを与えられ、癒され、すなわち感動してこそ人に語れるのですよね。それが福音で、わたし達が聖書から受けるものなのでしょうね。

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