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2007年2月23日

哲学の道

 京都に西田幾太郎が愛した、「哲学の道」という散歩道があるそうです。
四季折々に草木の花が咲き散歩人を楽しませてくれるとのこと。

中世の修道院の中には「祈りの回廊」というのがあって、歩きながら祈るのです。何の変哲もない道の方が良く祈れるそうです、当然気が散らないからです。
私も相模川の土堤を散歩するのが好きです。哲学者風に片手をポケットに突っ込んで、ハットを深くかぶり考えながら歩くと、時にはブログのためのひらめきがある。
しかし、いまどき早咲きの桜が咲いていたり、梅に鶯らしき鳥が止まっていたりするとすぐ写真に収めたくなり哲学どころではない。
周りを見ないようにして歩いてみるんだがやはり、「今晩のおかずは何かな?」とか雑念が入る。哲学は難しいまだ修行が足りないようだ。

パウロがギリシャ哲学に精通していたアテネの人と議論した時、肝心の時、「死者の復活のことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、他の者たちは、『このことについては、またいつか聞くことにしよう』」(使徒の働き17章32節)と逃げられてしまった。
哲学はとにかく難しい。


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早咲きのさくら


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「感動する道」では哲学できないのだろうか

2007年2月19日

大丈夫です

 先日あるセミナーに行って、短時間でたくさんの事を学びましたが、ほとんど覚えていません。
主催者は項目だけでも覚えていただければ十分ですとのこと。

確かに、近年脳の研究が進んで、脳は24時間働いていることが解明されてきた。だから課題の項目だけでも覚えていると、脳はそのうちいつかいろいろな解決を探ってくれるようです。
これは朗報ではありませんか。

聖書では数千年前に
「主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。(詩篇127編2節) 
と言っている。
これは礼拝中寝ていても、神の恵みはその人に届くということでしょうか。


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紅白の梅の花、美しい物を見ると脳が働きます


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桜のつぼみ、明るい春を待つのもまたよし

2007年2月14日

愛がこわれる時代に

今日はバレンタインデー
チョコレートを食べる日? いいえ。
チョコレートを拝む日?  いいえ。
チョコレートを通して愛を告白する日? まあね。
チョコレートを通してお互いの絆を新たにするのです。
親子の絆、恋人同士の絆、夫婦の絆を。
最高なのは、神様と絆が結ばれることだが。

この日、イギリスでは男性が女性にチョコレートをあげるという。
フィリピンでは男性が女性に花束をあげるのです。
ともかく、大切な絆が保たれることは良いことです。
これがバレンタインデーの意義です。

「愛は、すべてを完成させる絆です。」
         コロサイの信徒への手紙3章14節

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チョコレートショップは大忙し


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花屋さんも頑張っている

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愛の絆に結ばれて

2007年2月 8日

21世紀の恐竜にならないよう

 新年にいただいたMHさんの賀状の中にご主人が環境に対する意見を訴えたものがあった。
「大昔に恐竜が環境変化に適応できず絶滅した事を顧みて、人類も21
世紀の恐竜になって絶滅することのないよう環境資源を大切にしよう。」というものです。
年賀の挨拶に加え、御自身の貴重な意見を皆さんに知らせたものです。
内容はもさることながら、この姿勢にとても感動し、自らを恥じています。
これを見習い、社会のために私達の思いを発信しようではありませんか。

「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」      
マタイによる福音書5章9節


困ったことが結構たくさんあります。

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これからたくさんの人を悩ますスギ花粉のもと


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静かな川を渡る環状道路の橋げた


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畑として使われている国有地


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四谷駅の釣堀の隣のお堀で釣りするおじさん

2007年2月 5日

天の故郷にあこがれて

 今日は暖かい春のような日だった。
昨年の2月に亡くなった父の墓に、花と線香を供えてきた。

私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
秋には光になって畑にふりそそぐ
冬にはダイヤのようにきらめく雪になる
朝は鳥になってあなたを目覚めさせる
夜は星になってあなたを見守る
私のお墓の前で泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に 千の風になって
あの大きな空を吹きわたっています
  「千の風になって」より


私たち復活を信じるクリスチャンにとって、墓は最終的なすみかではありません。しかし墓は死者の安らかな「眠り」を願う畏敬の念の表れであり、先祖との一体性を確認するためのものです。これらの思いを尊重し墓を大切にするのです。

「私たちの国籍は天にあります。」
          ピリピ人への手紙3章20節


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春の日に満開の梅


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墓地の梅は終わりに近かった


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でも、最後の香りをはなつ美しさかな

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