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2006年5月30日

お隣さんへ

最近お隣さんへ引っ越しました。
今までは、イギリス人の宣教師グリフィツさんご夫妻のお宅でしたが、今度はオランダ人の宣教師ジェンセンさんご夫妻のお宅(隣)へ引っ越しました。
少し暇なもので両家を比較したくなりました。

グリフィツさんは、アナログ的というか芸術的です。壁には家族の写真がいっぱい、特製の本棚には本がぎっしり、クラシックのCDと立派なコンポが揃っている。

ジェンセンさんは、どちらかと言うとデジタル的です。ご主人は科学者かエンジニアーでしょうか、ドアーに取り付けられたタオル掛けはプレハブ式、各テーブルには手元照明があり、水道にはフィルターが、極めつけは部屋に温度計があることです。

共通して言えるのは、決してゴージャスな家ではないが休暇中(本国に帰ったり、ジェンセンさんはスイスの友人の別荘で過ごしてる)主にある友人に無料で家を使用してもらう心の寛大さです。シーツやタオル、キッチン用品、調味料、あるものなんでも使ってよく、もちろんメード付です。
素晴らしい人たちです、本当に感謝です。

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」
    ガラテヤ人への手紙5章23,23節


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ジェンセンさんのご家族、2人の娘さんと息子さんはオランダで生活している。


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昔の職業柄、温度計などがあるととても共感を覚えます。

2006年5月27日

犬の祭壇に

 今朝、教会学校のお母さん方と「あなたは死後どこへ行きますか?」
ということを話し合った。
一人の最近洗礼を受けたばかりのお母さんが先日日本へ一時帰国して戻ってきました。日本の親しくしていた近所の人を訪ねた時、愛犬(ゴールデンレッドリバー)が老衰で死んで、家に立派な祭壇が飾ってありました。
親しくしていたその友人が「犬の祭壇にお線香をあげて」と言ったので、とっさに『人を拝んではいけないが、犬もやはり拝んではいけない』と思って、
「神様、この犬をこのご夫妻の所にしばし与えてくださり、彼らがこの犬から大きな楽しみと、慰めをいただいたことを感謝します」
と、祈ったそうです。

 「あなたがたは、食べるにも、のむにも、何をするにも、
         ただ神の栄光をあらわすためにしなさい。」
              コリント人への手紙第1 10章31節

私たちは、いつも主を褒め称えるべきです。
素晴らしいとっさの知恵が、主から与えられ感謝です。


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マカティの中心アヤラミュージアムからランドマークをみて


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フィリピン大学のキャンパスで、誰が使うのかね?

2006年5月23日

天国教会

こんな教会堂が欲しい。
この教会堂はマカティの一等地、オフィスとショッピング街に隣接するグリーンベルトの公園内に建てられている。公園の池の上に直径30mくらいの半球型で三方向に入り口が橋を渡って設けられている。5百席位あり、4面オープンで明るく、何よりも365日24時間オープンです。
礼拝時以外はいつでも誰でも、祈ったり、休んだり、黙想したりできる。
本当に都会のオアシスです。今日は半日ここで過ごした。

「都の門は一日中決して閉じることがない。そこは夜がないからである。こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えてくる。」
    ヨハネの黙示録21章25,26節

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水の上に建てられて涼しい


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中央にステージがあり丸天井になっている


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夕日が差し込んでくるころ、仕事帰りに夕礼拝に来る人たち

2006年5月22日

聖書を読むかい

今回の学びはマタイによる福音書18章です。
田名さんのシラバスを参考に乗せます、これをもとによき話し合いができますことと思います。

              「聖書を読むかい」の資料   田名尚文
日 時     平成18年5月24日 12:00~ ホテル「ジュラク」にて
説教題     「あなたは他人の罪を赦せますか」
聖書箇所    マタイによる福音書(18章21節―34節)
     
序論     ・今日は18章の総括とも言うべき21節から「仲間を赦さない
家来」のたとえを中心に考えてみたいと思います。
            ・人は罪を犯す性質を持っている。しかも大抵は、同じ種類の
失敗を何度も重ねる。残念ながら、罪は、発見されないかぎ
り繰り返される。これは人間の性(さが)である。
            ・では、ある人が罪を繰り返し犯す場合、何度くらいまで赦す
べきであろうか。ペテロがイエス様に、この点に関する質問
をぶつけた。イエス様の答えは、無限に赦せというものだった。
            ・前節(15節―20節)にてイエス様は罪を犯した兄弟にどのよ
うに、対処したら良いのか話されている。しかし罪を犯した
人にそのような忠告をするに当たり、どこに赦しの限界を設
定すれば良いのかという問題が生じてくる。このことに対す
るたとえ話なのである。
本論 
      ポイント1  「人の罪を何回まで赦せるか」(18:12-22)
             そのときペテロがイエスのところに来て言った「主よ、兄
弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょう
か。7回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言つ
ておく。7回どころか7の70倍まで赦しなさい。
            ・「そのとき」はマタイ書において新しい話を始める時の導入句
である。一連の出来事としてつながっているが、歴史上の実
際の出来事と時系列的に関係付けられているわけではない。
・ペテロは「主よ、兄弟たち」と尋ねた。「兄弟たち」とは霊的
家族の一員、つまりイエス共同体の仲間を指すのである。そ
してさらに「わたしの」という言葉が兄弟に付けられている
のは、この話が共同体内の一般的出来事というより、自分と
ごく親しい関係にある人との問題だったことを強調している。
            ・ここでは「罪」というだけで具体的にどのような罪なのかは
触れていない。罪の種類は、この話の主旨にとってどうでも
いいからである。

            ・「何回まで」という言葉には、イエス様から教えられた通り、
             赦すことは赦そう、だが限界がある、という気持ちが込めら
れている、「7回まで」という回数は、このときペテロが考え得た最大級の数字だった。ユダヤ教では、3回までは赦されているが、4回目は赦されないと教えていた。従ってペテロとしては7回赦すなら十分だろうという気持ちだった。
            ・しかしイエス様はそれでは不十分であると答えたのであった。
イエス様は当時のだれも考えていなかった高いレベルの生き
方をペテロに求められた。イエス様が言わんとされたことは
「無限に」という意味であって、変わらない。決して491
回目には赦さなくても良いということでは無いのです。罪を
犯した人に対して無限に赦しを与えるべきである。限界を設
けてはならない。神の愛は無限だからである。
            ・勿論、無限に赦すということは、罪を不問にすることではな
             い。このことは(15-20節)の勧めから明らかである。罪は
忠告され、悔い改めなければならない。と同時に、無限の赦
しが備えられなければならないのである。この「無限の赦し」こそ、イエス様が御国の民に備えてくださった、シンボルな
のである。
ポイント2  「王様からの哀れみ」(18:23-30)
      ・他の人が自分に対して犯す罪を、なぜ何度も赦さなければな
らないのか。この点を明らかにする為に、イエス様は本筋以
降のたとえ話をされた。尚このたとえはほかの福音書には出
てこない。
            ・王は家来に貸した金の決済をしたいと思った。
            ・この王は1万タラント(6000億万円)を借金している一人の
家来を前に返済をするように迫った。要するに借りた家来が
自分の持っている全ての物を売っても、あるいは生涯働いて
も返済できないほどの莫大な借金だったということである。
            ・その家来は「どうか待ってください。きっと全部お返ししま
す。」と言った。しかし王は家来を哀れに思って借金を免除し
てやった。
            ・喜んだ家来は帰宅する途中で仲間のしもべに出会った。仲間
のしもべは彼から100デナリオン(100万円)の借金をしていた。これは労働者の100日分の賃金で高額であるが、先の1万タラントに比べるとわずか60万分の1である。

            ・仲間のしもべはひれ伏して「どうか待ってくれ、返すから」
と言ったが、承知せず借金を返すまで牢に入れてしまった。
            ・王から赦されたしもべは、仲間のしもべを赦せなく投獄してしまったのである。
ポイント3  「兄弟の罪を心から赦すべき」(18:31-35)
      ・王に仕える他のしもべたちがこの一連の出来事を見ていた。
      ・事の全容を知った、しもべ仲間は、王の所に行き、彼らが見聞
       きした一部始終を王に告げた。
      ・その報告を受けた王は、先に1万タラントの借金を赦した、
しもべを呼びつけ、厳しく断罪した。「お前も仲間を哀れんで
やるべきではないか。」
            ・王からの哀れみを受けたしもべは、そのことを深く思い、仲
間を「哀れんでやる」ことが出来たはずである。赦すことが
当然の義務として述べられている。
            ・しかし、このしもべのとった態度は、王(主人)の怒りを引
き起こし忍耐の緒が切れた状況にさせた。さらにしもべから1万タラントをすっかり返済するまで投獄してしまったのである。
            ・このたとえ話は「王」が神を、「しもべ」が人間を表わしてい
る。「1万タラントの借金」とは、人間が神様に対して犯した
罪である。それはどのようにしても償うことの出来ないほど
大きなものである。ただ一方的な哀れみによって、赦してい
ただく以外にないのである。それに対して「百デナリオンの
借金」とは、人間が他人から受ける罪である。百デナリオン
であれば小額とは言えないが働いて返済することが可能であ
るはずである。それは神様に対して犯したものと比べると、
比較にならないほどわずかなものである。
結論       他の人の罪を赦すことが出来ない場合、一番不幸なのは、赦されない人ではなく、赦せない人の方である。他人を赦さない結果、自らの身体と心までも蝕まれていくのである。
        人の間で赦しを実践しない人は、神様の赦しを受けることが
        出来ない。神様の赦しは他人を赦すことと深く結びついている。
(エフェソ4:32)(コロサイ3:13)
(参考文献)    マタイによる福音書(中澤啓介著)、
マタイによる福音書(アレチイヤ-釈義と黙想)
マタイの福音者  (岸 義紘著)

2006年5月20日

ダビンチ・コード

 さすが人口8割がカトリックの国フィリピン、連日ダビンチコードが新聞紙上をにぎわせている。
「キリストを冒涜している」
「キリストをもっと知ってもらうのによい宣伝だ」
「議会で映画の上映を禁止するように可決せよ」
「これは小説家ダン・ブラウンの小説だから気にする必要はない」
等々、いろいろの意見だ。
それも、それなりの役職、地位の人たちの意見である。
 昨日19日オープン日、今年最高の観客動員数を記録したそうだ。
私も、来週には見に行きたい。ルーブル美術館も見たいし。
実は野次馬根性です。

「こういうわけで、あなた方は、食べるにしても、飲むにしても、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」
    コリント人への手紙 第1 10章31節

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本屋さんにダビンチコードコーナーがある


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なぜか、後ろはイメルダ・マルコスがすんでいるコンドミニアム

2006年5月18日

Happy Birthday 託!

 託くん26歳の誕生日おめでとう。またこれから仕事を始めることになりそれもお目でとう。長い道草を食ったが、それもこれからの人生、仕事、あらゆる面で益となることでしょう。ホリエモンも「人生を生き急いだかな」と言っていたが、人生急ぐ必要はない、1年遅れたら1年長生きすればいい。
充実した人生を歩んでください。マニラから父より暑い愛を込めて、

「私は祈っています。あなた方の愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、あなた方が、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。」    ピリピ人への手紙1章9節


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香港の幼稚園時代の友達、大切にしろよ


そうそう、プレゼントを忘れていた、ベンツなどどうかな?
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2006年5月14日

桃源郷

シャングリラとは理想郷、桃源郷のこと。(James Hilton の小説 Lost Horizon
の中の理想郷)シャングリラ・ホテルはそれをモデルとして建てられたと聞いている。
どこの国、都市(北京、香港、バンコック、マニラ、シンガポール)に行っても、そこに入れば、周りがどうであろうとも、そこは理想郷、桃源郷で、同じ安らぎの空間とサービスが得られる。確かに高い天井にガラス張り、その外はこんもりした緑の森です。
たまには、マニラの暑さと雑踏から桃源郷に逃げ込み、アフタヌーンティーなど頂くのもリフレッシュになります。

「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。
火のあとにかすかな細い声があった。」
    列王記Ⅰ 19章12節
疲れたときこそ、静まって主の声を聞こう。


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ダージリン、アッサム、アールグレイ、アップル、ローズティー等各種取り揃えています

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ちょっとこっけいなポーズ、ポットの中でお茶が休んで(お湯と分離して)いる状態

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ラウンジの中から外の森を見て、

2006年5月10日

暑い!

 暑くてもうこれ以上耐えられない。頭のテッペンが焼け焦げそうだ。
人は皆、ぐったりしてどこかに隠れているのか。
花のみ、この時とばかり咲き誇っている。

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
わしのように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」
      イザヤ所40章31節


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ブーゲンビリヤが天まで伸びて

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日中、アヤラ通りに人影がない


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シャングリラホテルの噴水、水をまく人も涼んでいる

2006年5月 9日

聖書を読むかい

 5月11日(木)は「聖書を読むかい」です。
今回は、マタイによる福音書17章を読みましょう。
私はマニラから、このブログを通して参加します。

 前章16章21節で「イエスは長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして3日目によみがえられる」と弟子たちに初めて十字架と復活を示された。
天の神さまがイエスをこの地に送られたのは、十字架に架かり復活すること、すなわち私たちの罪のために死に、永遠の命を与えらるることでした。
しかし、弟子たちは、当然イエスは王であって、この国を改革してくれるお方と思って誤解していた。
特にペテロは「主よ。***。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」と言って、逆にイエス様から「下がれ。サタン。あなたはわしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」と諌められたのです。

と言うわけで、その誤解が少しでも解けるように、イエス様は特に近しい弟子3人、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを連れて高い山に登られたのです。(ヘルモン山と思われる)
そこで弟子たちに、復活の予告編を見せたのがこの「イエスの変貌」と言われていることです。モーセとエリヤは旧約聖書の律法と預言者を代表する者です。しかし神の声は「イエスに聴け」とおっしゃられた。イエスは神の子であり、モーセやエリヤの仕事を完成させるものである。

それでもまだ、弟子たちはエリヤの代わりがバプテスマのヨハネであるところまでしか理解していません。(13節)
12節の、「人の子もまた、彼らから同じように苦しめられようとしています」を現実のものとして捉えていません。私たちも同じように、なかなかイエス様のことがわかりません。むしろほとんど誤解しています、彼らも同じだったのです。

3節、「み衣は光のように白くなった。」とありますが「英語でShining White」二千年前から現代の蛍光塗料、蛍光洗剤の発想があったのは驚きです。

この章の後半、20節で「からし種の信仰」が出てきます。鼻息で飛んでしまうほど、また取るに足りないほど小さな信仰ですがこれが山を移すほどの力があると言うのです。
何としてでも「この信仰」を手に入れたいものです。
主の祝福あれ!


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エリヤ一人がカルメル山でバールの預言者450人、アシュラの預言者400人と戦った(Ⅰ列王記18章)

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ガリラヤ湖畔の町カペナウムで食べたペテロの魚、醤油とワサビをつけて美味しくいただきました。
この魚の口から出てきた金貨をイエスとペテロの税金として納めた
(マタイ17章27節)

2006年5月 5日

乾季の終わりが近い

 毎日暑い、暑い、といっていたが、いよいよマニラに雨季が始まる気配がしてきた。真っ青だった空に真っ白な雲が出てきた。

 生き物は感じるのが早い。ゴキブリがキッチンに出だした。
メードのソーニャさんが、壁と床の角に何か薬を塗っているので最近やつが死んでるのを見かけた。
そういえばなんとなく湿度が高くなってきたようだ。

 フィリピンの気象台(PAGASA)によると今年はいつもより2週間早く、5月の中旬には乾季が終わるとのこと。エルニーニョの影響があるようだ。
今度は雨の被害に備えるよう警告が出された。
しかし、すべての生き物にとって嬉しい季節が来る。

「主はその恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。」
    申命記28章12節
この国、フィリピンが祝福されてほしい。

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乾季の終わりを告げる雲が現れた、弱った生き物が息を吹き返す時

2006年5月 3日

昼の祈りの時

 昼過ぎは涼しいところで祈ろうと、フィリピン大学の構内の並木道のベンチに陣取った。大きな木下で風もあって涼しい。
祈り始めたが少し祈ると時間が気になる。
今日は何時まででも十分時間はある。
遠くの広場で子供が遊んでいるのに気が付き、これはカメラに収めなければと、また少したつと喉が渇き時計を見ると3時(ミリエンダ、おやつの時間)マクドナルドへ行ってマックと飲み物を買って木下で食べた。
眠くなってきたので少しうとうとしてたらもう5時になってしまった。
しまった!
なぜかサラリーマン根性がぬけず、時間を無駄にしてはいけないという悲しい習性から抜けきらない。
いつになったらこれから自由になるのかな?

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに、
また、『何の喜びもない。』と言う年月が近づく前に。」
         伝道者の書12章1節


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キャンパスに隣接する広場で、
子供はどんなものをも遊びに替える、なぜか女の子が元気


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キャンパス内は、夏休みで学生も少なく静かです


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寝て空を見ると緑のじゅーたん

2006年5月 1日

お泊り

 昨日の夕礼拝の後、マニラ日本語キリスト教会のメンバー、HYさんのお宅にKHさんと泊まった。マニラ湾に近いパッシグ川のリバーサイドにあるコンドミニアムの16階です。概してマニラの住宅事情は日本と比べると良いのに感心する。
ここは4LDKですが、各部屋にバストイレが完備されている。それぞれが プライバシーを確保でき、くつろげるようになっている。その上、今はたまたま奥さんが日本に一時帰国中ですが、彼女の性格と配慮の表れで、.室内の装飾、整理整頓が行き届いて、メードの日本料理も素晴らしい。主に感謝です。

彼らの信条は
「いつも喜んでいなさい。
  絶えず祈りなさい。
    すべてのことについて感謝しなさい。」
      テサロニケ第1の手紙 5章15,16,17節
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朝の川、水がとても涼しそうです

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快適なリビング

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清楚なダイニング

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