ダビデの汚点
聖書のサムエル記下に、王ダビデが自分の忠実な部下であり、戦士であるウリヤの妻バテシバを奪い、ウリヤを戦闘の激しい最前線に送って戦死させるという記事がある。姦淫と殺人を行ったのである。旧約聖書の中心人物であり、後にキリストを生み出す家系のダビデ、なのになぜ聖書はこのダビデの汚点となる記事を載せているのだろうか?
昔は、中東の地方では、権力者である王は何をしても良かったという風習があったのだろうか?
いや、聖書に一行「ダビデのしたことは主の御心に適わなかった。」サムエル記下11章27節、と記されている。
昔も今も主の目は、主の真実は変わりない。
幾度も罪を重ねて、なおも免れようと考えている私たちに対する教訓なのかもしれない。
先週の「聖書をよむかい」の学びでした。

座間の谷戸山公園入り口に毎年咲く朝顔
人はその場所、時を忘れても自然は忘れない
