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2005年5月31日

VISA

以前、マニラに7年間駐在し帰国の当日,空港でビザの書類不備ということで、別室に案内された。お金で処理するかどうかと言うことでしたが断ったため出国できず、緊急にチェックインした荷物を降ろしてもらい、ホテルを予約し移民局へ行って手続きを完了し翌日家族ともども出国成功。という、この国のヴィザには苦い経験がありました。
 
 今回も長期滞在なので、入国前に日本のフィリピン大使館に聞いたら、観光で入って延長することを勧められた。ちなみに長期ビザを取るための手続きも聞いたが膨大な書類が必要なのであきらめ大使館の勧めに従った。今回の滞在は50日を越えるものなので、2回(一回21日滞在可)の更新が必要ですが、うわさによると2回目はめんどくさいそうだと言うことでした。最悪の場合は、一度香港に出て、病気(腫瘍)のために祈りに覚えている香港日本基督者会(HKJCF)のNさんに会いに行こうかなとも思っていました。そうすれば再度ビザがもらえるのです。ところが先週末、Nさんが東京の病院に入院したのを妻から聞きました、再度悪くなったようです。
 
 日曜日(5月29日)にビザの更新手続きをお願いしているMJCCの教会員、Kさんに状況を聞いたら、翌日お持ちしますとの事でした。翌日家までKさん自ら届けてくださり、約60日の滞在許可が出ていました。ハレルーヤと主に感謝しました。Kさんを通して神さまが最善をなしてくださったのです。与えられた最後の時までこの地でMJCCの御用が出来ることを感謝します。又このマニラの信仰の友たちにもNさんのことを祈ってもらいましょう。


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つまらない写真ですが日本国へのパスポートです。あなたは天国へのパスポートをお持ちでしょうか?お早めにお求めください。

2005年5月28日

選択権

 『もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。』
                創世記13章9節

 アブラハムは主人である自分の権利を、甥のロトに譲ったのである。
神に選択を委ねた。
神の選択に委ねよ、何事も神の選択を第一にしなさい。神の選択がベストだからです。信仰の敵は往々にして罪ではなく、善です。善だけでは十分ではありません。
“The good is always the enemy of the best.” とあるように、善はいつも最善の敵だからです。

 土曜日の朝は9時半から教会学校があります。
教会前の公園の端、レガスピーとヘレーラ通りのコーナーに小さなスターバックスがある。
今朝、私は8時少し前に行って、そこでコーヒーとシナモンロールを楽しんだ。バスはすいていていつもの半分の時間(40分)で来た。
主よ!私の選択はベストだったでしょうか?


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静かに落ち着いて考えることも出来るスタバ。

2005年5月27日

民の知恵

 この国のお手伝いさん(メード)は洗濯物を全てアイロン掛けする。Y シャツだけでなく靴下から、下着に到るまで。洗濯水に虫等が付着している場合も安全であるということで。

 又、よく工事現場で、作業員達は仕事が終わったとき水浴びするよりも、朝水浴びしているほうがよく見かける光景である。朝だと水が冷たいと感じるのではないか?ところが朝は体温が下がっているからあまり冷たく感じないとのこと。

 先週ごろからゴキブリが出始めた、そろそろ雨季が来るよ、暑さも終わりだ、とソーニャさん。確かに、今朝のINQUIRER新聞に、PAGASA(フィリピン気象庁)が雨季の始まり、エルニーニョの乾季の終わりを告げていた。
やはり民はそれなりの知恵を持っている。その国の生活はその国の人に聞く、当然です。人間いかに生きるかは、歴史の始まる以前からおられ、人間を造られた神さまに聞く、当然。

「主を恐れることは知識の初めである。愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。」
                箴言1章7節


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ソーニャさん 買い物、掃除、洗濯、クッキング手際よく小型ブルドーザのごとくこなす。私より英語もうまいし、知恵も豊かです。

2005年5月26日

サンパギータの香り

 サンパギータという白い小さな強い香りの花、ジャスミンの一種でフィリピンの国花です。

 夕方になると、街の交差点に花売りの子供達が立っている。特に水曜日が多いが、これは水曜日の夜、カトリックのミサに行く人が多く、帰りに清めの意味を込めて買うようだ。レイのように首にかけるのもよし、車のバックミラーにかけるのもよし、エキゾチックなフィリピンの香りです。フィリピンの人も結構花が好きな人が多い。

「私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。」
「わが愛するものが娘達の間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。」
               雅歌2章1-2節

「私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストの香りなのです。」
              コリント人への手紙Ⅱ、2章15節


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花売りの男の子


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どこにでも咲いているサンパギータ

2005年5月25日

オープンハウス、オープンハート

長い間の信仰の友であるSさん家族が引っ越して新しい教会に行きました。
それから何年経ったでしょうか、最近家庭集会をするという知らせを聞いた。
ハレルーヤ!主に感謝!やっとその地に、その教会で使命を見出したのでしょう。

彼らの心が開かれたと言うか、主が彼らに命を溢れさせてくださったというか。
これからは彼らはもちろん、集うすべての人に主の豊かな命が流れていくでしょう。
祝福あれ!

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家でパンをさき喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も、毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
使徒の働き2章46-47節

家庭集会(オープンハウス) 大いに、大いに大歓迎!


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ジョクジャカルタの大学生のオープンハウス、ハレル ハレルヤーを夜中まで歌った


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ロンボク島の地主の家のオープンハウス、ココナッツジュースを飲んで

2005年5月23日

思い煩いは罪です

昨日の言動を思い返して、いろいろ思い悩むことがある。
又、明日のことを思って思い煩うことがある。
「こんな不安定な時代なのに、何で思い煩わないでおれようか。」という。
聖書には、「思い煩うな!」とある、いや「思い煩いは罪です。」と

「空の鳥を見なさい。種蒔もせず、刈りいれもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。」
マタイによる福音書6章26節

「あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなた方のことを心配してくださるからです。」
ペテロの手紙第1, 5章7節

「信仰から出ていないことはみな罪です。」(神に対する不信です)
ローマ人への手紙14章23節

もっともっと大胆に神さまに頼っていこう!


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ずっしりと重く、ふっくらした肌触り、天の恵みいっぱいのマンゴー

2005年5月21日

進化ですか

 19日の読売新聞にガラパゴス島で火山の噴火があって、希少動物達が絶滅しそうだとあった。それは大変残念なことです。この島の動植物をヒントにチャールズ・ダ―ウインが進化論の仮説を立てた。仮説も崩れる兆候なのか?
 
人はチンパンジーから進化したとか、人とチンパンジーの染色体の違いは2%であるとかで、日本人は明治以来人間の起源を誤って教えられてきた。

 しかし人は神によって一人一人大切に造られた、神の作品です。決してアメーバーから偶然や進化で造られたものではない。神は霊である。そして人が他の動物と違うのは霊的な存在である。だから人は神とコミュニケーションが出来る唯一の存在です。

「神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。」
             創世記1章27節

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フィリピン大学ビレッジの夕方のファッション


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彼らもチンパンジーからの進化ではないよ、神の作品、傑作だよ。

2005年5月19日

わきでる命の水

 信仰って不思議で、泉のようだ。
何も無いようでも、次から次へと新しいもの、考え、アイデアが与えられる。きっと我達の信仰の源が、やはり天地創造の神(イエス・キリスト)だからかなあー。

 このブログも100回になった、こんなに続くとは思わなかった。
井戸のように汲めば汲むほど澄んだ水(役に立つ)になることを願っている。

「わたし(イエス)が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命への水がわき出ます。」
               ヨハネの福音書4章14節

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マカティの町の真ん中にある憩いの泉

2005年5月18日

ともし火

 最近、夜になるとすごい雷と雨が降る。雨季の始まりを知らせているようだ。
連日、日中35度以上の暑さも峠を越えたようで助かる。
雷が鳴ると当然、電気が消える。勝手知ったとうり、ローソクで夕食を一人ロマンチックに、でもここはグリフィツ家を間借りしているので、あちこちの写真で見られているようだ。

 ともかく、
「あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油をもってこさせ、ともし火を絶えずともしておかなければならない。」と、
          出エジプト記27章20節
ともし火は祈りです、絶やさず祈りましょう。

 そして、託君25歳の誕生日おめでとう。
「あなたのみことばは、わたしの足のともし火、私の道の光です。」
             詩篇119編105節 
これからも主のみ言葉の光によって歩いてください。

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ジュン先生の娘さんの双子の息子達とその弟(孫達)

2005年5月17日

空ですか

エルサレムの王、ダビデの子、伝道者のことば。
空の空。伝道者は言う。
空の空。すべては空。
日の下で、どんなに労苦しても、
それが人に何の益になろう。(伝道者の書1章1-3節)

わたしの愛する方は、
わたしに語りかけて言われます。
「わが愛する者、美しいひとよ。
さあ、立って、出ておいで。
ほら、冬は過ぎ去り、
大雨も通り過ぎて行った。
地には花が咲き乱れ、
歌の季節がやってきた。
山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。」(雅歌2章11-12節)

ソロモンほどの王であっても、
イエスがおられなければ、すべては空。
イエスと共にいる者はいつも愛で満たされる。
両方ともソロモン王によるものです、対で読んでください。

(暑い国マニラより愛をこめて道端に咲いている花を)

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ブーゲンビリヤ


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 アメリカンブルー


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これはなんていう花ですか? ランタナというそうです。

2005年5月16日

言葉は生きている

言葉にはクリエイティブなパワーがある。

多くの人が「座右の銘」を持つのも言葉の持つ力に頼ることの現われ。
聖書でははっきりと、創世記に、神が「光よあれ。」といったら光があった。
ヨハネの福音書で「言葉は神であった。」とある。
神は創造者であるからクリエイティブなパワーがあるのは当然です。
ですから言葉は人を生かしも殺しもする。心して使おう。

テストの点数が
80点の時、英語ではExcellent,  日本語では まずまず。
60点、   英語で Very Good、 日本語   やっと。
40点、   英語で Good、    日本語   だめだ。
20点、   英語で Fair、     日本語   見込みナシ。
と表現するとどこかで読んだことがある。
英語のほうが甘いというか、やる気を出させるかも。

あなたはどちらですか?


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ここに書いてある文字は日本では公証人役場と訳し、そこには弁護士さんたちが並んでいる
のです。このバス停の一角を占領しているこの人達、子供もいるが力があるんだろうね。

2005年5月14日

費用の計算

「塔を築こうとするとき,まず座って、完成に十分な金があるかどうか,その費用を計算しない者が、あなた方のうちに一人でもあるでしょうか。基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた人はみな彼をあざ笑って、『この人は、建て始めはしたものの、完成できなかった。』と言うでしょう。」
ルカによる福音書14章28-30節

人生も最後が肝心です。晩節を汚さないだけでなく、本当にこの人生でよかった、なぜなら永遠の命をいただき天国への切符を得たからと言える最後でありたい。
イエスキリストを信じるものは、間違いなく塔を完成できる。イエスが十字架の上ですでに、私達のために全ての代価を支払ってくださったから。
この建物の主はどうしているのでしょう?

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工事中断中、どこからも見える塔

2005年5月13日

汚職

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五本指の財布

 フィリピンのバスの車掌は全売り上げ金(コイン以外)を5本指にはさんで持っている。極めて透明度の高い財布の中身です。
ところが毎日という位、新聞で政府職員が汚職をしている記事が出ている。4-5日前にも環境省が既存のバスやジプニーの排気ガスがひどいのでもっといいエンジンに入れ替えるというプロジェクトで、エンジン1台500USドルでいいのに2000USドル払って、あるところから買うとの事。どこの国も似ているが、この国は特にひどいようだ。

最近は日本でも大学の授業で真っ先に、コンプライエンス(企業等の法令、規則の遵守)を学生に教えると聞いたことがある。会社に入ってしまうと、特別な教育を受けないうちにトップになってしまうこともある。それからではもう遅い、そういう企業はいざと言う時にダメージが大きい、米巨大企業エンロン倒産のように。
本来は若い時に家庭で教わるべきものである。
聖書には何千年も前からこのことが明文化されている。

「賄賂を取ってはならない。賄賂は聡明な人を、盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである。」
出エジプト記23章8節

2005年5月12日

みな兄弟

 毎週木曜日は朝6時から祈り会の日です。
今朝はフィリピン大学の学生Aさんと、ビジネスマン2人と私の計4人の祈り会でした。
Aさん「人は天から与えられなければ、何も受けられないのね。」
そうだみんな頂いたものだ。
Hさんは自分のビジネスのかたわら、東奔西走し、国際電話をしてクリスチャンの友のためにいろいろ手助けをしている。「私達みな兄弟姉妹だから。」と。
 また農業(オクラを作っている)のKさんは朝3時半にトライシクル、ジプニー、バスを乗り継いで6時に祈り場に着く。「薪は1本よりも何本か集まれば良く燃えて、喜びが増す。」とのこと。
ここには水と霊によって新しく生まれた、そしていつもフレッシュなクリスチャンがいる。

 イエスは答えられた。『まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と霊によって生まれなければ、神の国に入ることは出来ません。』
              ヨハネによる福音書3章5節

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ぺニンシュラホテルの水

2005年5月10日

心の空洞

 「レクサスとオリーブの木」 だけど、グローバリゼーションの波の中(あくなき利益追求の企業活動,技術革新、また戦場のような所)にも自分の心地よい居場所(安全で、静かで清潔な、愛のある場)を持たないと人は生きていけない。
この平和な場所(5月9日の写真)に住んでいても、人はなお心に空洞を感じるでしょう。

 「告白」を書いたアウグスチヌスは「人はまことの神のもとに立ち返るまで、心に平安を得ることが出来ない」と言った。母モニカの祈りによって、放蕩の末32歳で神のもとに帰り心の平安を得た。

でも、相棒がいないのでちょっと寂しいな。

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2005年5月 9日

アイデンティティー

現在間借りしている(マニラのフィリピン大学のそば)、グリフィツ宣教師宅付近の朝の風景、
『心地よい風景だ。そういえば、昔日本にもあった。』

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「レクサスとオリーブの木」 ニューヨークタイムズのトーマス・フリードマン著に(レクサスはトヨタの高級車(輸出車名)で進歩の象徴、またオリーブの木は文化や人間として大切なもの、アイデンティティーを意味している。アイデンティティーは心のふるさとと訳したらいいかもしれない。)
レクサスの中にいる時間が長くなるほどオリーブの木に寄りかかって過ごしたい時間も長くなるとある。人々は今も共同体を求めている、ゆったりと安心できる共同体を。

「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。」
               詩篇84編10節

2005年5月 6日

祈り場

マカティの一等地、グリーンベルト・パークの真ん中の池の上に教会堂(カトリック)がある、マカティの人々のやすらぎと憩いの場である。これは神さまに最高のものを、また最善を捧げるという彼らの信仰の表現でしょう。

多くの市民が朝、出勤前にここで祈って主の声を聞き、心の平安をいただき、職場に向かう。この会堂はカトリックの人々のためであるが、イエスキリストを信ずる者は誰でも入れる。最近プロテスタントと共同で訳した新共同訳聖書が今日本では広く使われている。カトリックの「イエズス」が「イエス」に、プロテスタントの「ペテロ」が「ペトロ」と訳されているのは、素人目にも両者が譲歩しあっているように見える。教理の違いはあるものの、ともかく全てのクリスチャンが、罪の許しを求め、永遠の命を確信し、主の栄光と賛美を祈るのは同じです。

このような365日、24時間オープンの祈りの場が街中にあるのは素晴らしい。


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池の上に浮かぶドームのようになっていて、四方から桟橋を歩いてはいる、斬新なデザインの教会堂。

2005年5月 5日

カナの婚礼

今朝の祈り会はヨハネによる福音書2章。
イエスがガリラヤのカナで婚礼に招かれた時、途中でぶどう酒がなくなった。イエスは手伝いの人に『水がめに水を満たしなさい。』と言った。彼らはその通りにした。世話役は花婿に『あなたは、良いぶどう酒をよくも今まで取っておきましたね』と感心した。
これがイエスが行った最初のしるし(奇跡)です。

ここからの学びは、イエス様の声に「従う」ことです。間違いありません。
神であるイエス様は、私達人間に一部始終を全て知らせるわけではありません。いやむしろ全てを知ろうとすることは人間の傲慢であるかもしれない。(人間はそれほど大きな容量を持ていない)信じて従うなら、イエス様はよきもので満たし、次の道をも備えてくださいます。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなた方の道よりも高く、わたしの思い、あなた方の思いよりも高い。」
イザヤ書55章9節

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ゴールデンシャワーと言う花だそうです、加村さんに教えていただきました。

2005年5月 3日

マニラのバス

「若い男よ。若いうちに楽しめ。若い日にあなたの心を喜ばせよ。あなたの心のおもむくまま、あなたの目の望むままに歩め。しかし、これら全ての事において、あなたは神の裁きを受けることを知っておけ。」
伝道者の書11章9節

先週ジュン先生とバスでマカティの中心アヤラまで出て行った。若いマッチョな運転手ですごいスピード(ムチウチ・ラッパ号とでも名付けたいくらい)で運転していたので、“今日は早くつくな”と思う反面 “こんな運転してこの国はいいのかな”と思った。エドサのある箇所に来た時やはりポリスに呼ばれちゃった。バスレーンを走らなかったことと、スピード違反でペナルティーと20分のストップとのことでした。

次の日は老練そうな運転手だったので一人でも安心して乗っていた。デリマンからオルテガス(16ペソ)、オルテガスでアヤラ行きに乗り換るのに隣に座った男性が親切にオルテガスで一緒に降りてエヤコン・バス(10ペソ)を捕まえて乗せてくれた。バスのエヤコンは宿舎のエヤコン(宿舎はウインドウクーラなので音は一人前以上だがさっぱり涼しくない)より良く、1時間半の快適な旅でした。私はエアコンバスが結構気に入っている。


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おっと、まだ信号赤だよ、気をつけてね!


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インターコンチネンタル・ホテルの
コーヒーショップ ”TheJeepney”に掛かっている古き良き時のもの 

2005年5月 1日

マニラ日本語キリスト教会

 マニラ日本語キリスト教会(MJCC)はユニオン・チャーチ・マニラ(UCM)の一室を借りているのでUCMの朝の礼拝が終わった後、午後2時から礼拝が始まります。今日の礼拝賛美は出席者20数名でしたが男性が半数近かったせいもありとても力強い賛美だった。まさに「賛美の中に主は住みたもう」のごとく部屋中響きわたっていた。

 教会とは教会堂のことではありません、キリストに罪赦されたものの集まりです。教会の価値は会員の数ではありません、質です、キリストにある兄弟姉妹の暖かい交わりです。

「そして、一同の心に恐れが生じ、使徒達によって、多くの不思議なわざと証しの奇跡がおこなわれた。信者となった者達はみないっしょにいて、いっさいのものを共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」
     使徒の働き2章43―47節

 MJCCはいわゆる、1世紀の原始キリスト教会に極めて近い姿です。
主に感謝。


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礼拝後、MJCCのメンバーと近くのスターバックスで


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ユニオン・チャーチの教会堂です

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