逃れの町ー続き
今日は「聖書を読むかい」の日だった。
いつもの様に、御茶ノ水のレストランで食事の後、3人で聖書を読み始めた。
ヨシュア記20,21章、この箇所は逃れの町の説明と、レビ族に逃れの町を委ねるところです。
逃れの町は、弱い、失敗しがちな、また悪意ではないがきつい言葉で人を傷つけてしまい、許しが必要な私達にこそ必要な所です。新約聖書ではイエスキリストが私達の逃れの場として与えられています。「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに着なさい。休ませてあげよう。」 マタイによる福音書11章28節
聖書を読んだ後、「最近、奈良県で起こった少女誘拐殺害犯が、同様の犯罪で前科があったことがわかっていたのに事件が再発したことは残念だ。」「数千年前に、犯罪者の取り扱いについて書かれている聖書の思想を理解していれば防止できた事件ではないか。」等の意見が交わされた。
犯罪者の刑務所での留置生活は懲らしめもあるが、もうひとつの主な目的は更生です。作家、安部譲二の「堀の中の懲りない面々」で犯罪者の八割がたがまた戻ってくるというコミカルに描いている映画を見たことがある。
刑期がただ満了すればよいと言うだけでなく、更生に必要なプログラムを組んで実施し、本当に更生したという結果が大切です。アメリカでは仮釈放でさえ、更生してその個人が正直で信頼できる人物に変わったと思われる場合だけ許可されるとのこと。
決して再発がないことを望む。
