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2005年2月28日

愛と癒しの万座温泉

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 今朝は昨日に続き朝から素晴らしい天気、皆でゲレンデへ出た。リフトで1994Mの万座山頂上迄行って、早速滑った30年前の技術を思い出して何とか数回転びながらも下まで滑降できた。まんざらでもないと自信も 湧いてきて午前中スキーを楽しんだ。万座の雪は粉雪で転んでも濡れないどころか舞い上がり転ぶのも楽しい。

 万座温泉ホテル http://www.manza.cojp/はもちろん本物の源泉であるので本物という必要がない。床も風呂の湯船も全て木造り、なぜならコンクリートなどは硫黄分で溶けてしまうからとのこと。確かに。

 沢山の人たちが温泉で癒された。その上心も癒されるのがこのホテルの特徴。ホテルのオーナー、泉堅(本名黒岩堅一)氏は放蕩のあとイエスキリストに出会い、新しく変えられて今はホテルのロビーで歌と語りで人々の心を癒すそうだ。そんな訳でここは体も心も癒される温泉スキー場です。

 「しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命にいたる水が湧き出る。」
                   ヨハネによる福音書4章14節
このみ言葉が芸名の由来のようです。


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2005年2月27日

万座温泉へ

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 一面銀世界。赤羽発草津5号で、30年ぶりの万座温泉スキー場に来た。旧友の永井徹宣教師と静大BEST(静岡大学BibleEnglishSport&Travelの学生メンバー23人)に同行し、2泊三日の温泉スキー旅行だ。万座は今朝猛吹雪だったそうだが、午後は快晴、真青の空、文字通り「光の春」、空気がキラキラしている。

 学生たちは着くや早々ナイターに、わたしと永井さんは待望の温泉に、まず第一目標達成。明日からのスキー、20代の学生について行くのは体力的にしんどいので、今夜は早く寝る。

すべての汚いものを覆ってる真っ白な雪の世界、音まで吸収されている静寂の世界。こんな世界があるんだ!

過去の罪も全て覆われる世界がたしかにある。
わたしの過去に犯した、言うことの出来ないようなはずかしい全ての罪のためにイエスキリストが十字架にかかって死んで下さったのです。それでわたしは赦されたのです。

 「ヒソプの枝でわたしの罪を払って下さい。わたしが清くなるように。
わたしを洗って下さい、雪よりも白くなるように。」
                         詩編51編9節

2005年2月26日

小さすぎた神

 1843年江戸末期、群馬の安中藩に生まれた新島襄は、「聖書が『「初めに、神は天地を創造された。』という文章ではじまっていることに驚いた。『神というお方がこの天地を造られた?この世のものは、神というお方によってつくられた?』 その時、まだ彼が見、聞き、教えられてきた神さまというのは、病気をなをしてくれるとか、安全を守ってくれるとかいうものであった。とても、聖書に書いてあるような神さまでなかった。自分の知っている『神さま』は、人間の住む家よりもみすぼらしい小さな箱に入れられたり、祠(ほこら)にまつられているものだった。彼の心は燃えた。」
(小松栄次郎著 新島襄)

 10年間のアメリカ留学の後、日本の人たちがどんなに暗闇に閉じ込められるか、そして、どんなに、キリスト教育が必要かを感じ、キリスト教を基礎とした大学を作りたかった。帰国後、政府は新島襄に官界入りを強くすすめたが、「だが私の一身はすでにキリストに捧げたものである。私の目的はこの学校を開設する以外にない。」と辞退した。
 
 明治政府にとって新知識の持ち主である新島襄が魅力であった。
それから、彼は勝海舟に会って尽力を求めた。  「その学校は何年ぐらいかかって成功させるつもりか?」との質問に「2百年」と即答した。
勝海舟は新島襄の真摯さと情熱のただならなさを認め協力を惜しまなかった。新島襄は同志社大学の創設者となった。

「初めに、神は天地を創造された。」
              創世記1章1節
 聖書の冒頭に何の説明もなく書かれている、天地を造られた神、今わたし達はこの神をあまりにも  小さく見ている、見くびっているのではないか?

2005年2月25日

この道を行こう

 ある運送会社の社員が,勤務する会社の不正を告発したために、30年間左遷と昇給、昇格停止を受けた。その社員は会社を中途退職せず定年退職を機会に裁判所に訴えた。
裁判所は会社側の待遇を不当とし、会社側に対し原告の社員に賠償金の支払を命ずる判決を下した。 30年間の長期間もったいない時間を過ごしたという意見と、こういう事があってはならないという社会正義を訴えて最後まで戦って立派だという思いが交錯した。

 自分がこんな立場だったらどうするだろう?
しかし、わたしは「イエスならどうするだろう」と、いつも考える。

 イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
                  ヨハネによる福音書14章6節

 世界に聖人、賢人がたくさんいる。孔子、釈迦、マホメッド、でさえもこの様に言ってはいない。「道はどこか、真理とは何か、命を得るには」と教えてくれるが、「わたしについて来なさいわたしが道です、わたし自身が真理ですよ、わたしが命です」と言うのはイエス唯一人。
 わたしはこんなイエスについて行く、そして真理を知ろう、それが真理ならどんな時代でも、場所が違っても変わらないもの。真理こそが私たちを自由にするのです。

 わたしはその道に賭ける。
わたしの人生の賭けっていい加減なものだろうか?

2005年2月24日

床暖房の恵み

 我が家は30年前に買った、コンクリートのマンションの1階なので冬は床下からの冷え込みが強く、日中天気がよくても底冷えを感じていた。またストーブを付けると頭の方だけが暑くて快適とは言えなかった。

 昨年定年退職を機会に、5月の連休明けに2週間かけてマンションをリフォームした。特に以前からの悩みである暖房システムをメインにして改装した。それが床暖房です。冬に多くの時間を過ごすリビングと、スタディールーム、キッチンに床暖房を設置し、床材は無垢のなら材フローリングにした。熱源はガス(電気容量の増加不可のため)で風呂、洗面、キッチンに湯が出る。

 外から家に帰ると、靴下を脱いで素足になって木の感触と暖かさを感じるのが嬉しい。また普段は特に、夜など床の上に寝転んでTVを見るのも気持ちがいい。もちろんカーペットは一切不要で掃除簡単。室温は15ー17度C位だが十分快適、夜間等外が寒くなって室温が下がってきた時には、1枚服を着るか、予備のガスストーブを付け17度C位まで上げれば十分。

 維持費は風呂は毎日新しくたいて、1月度のガス代 17、000円(夏は5、000円位)、電気代 5、000円也だった。ガラス戸、窓を全て真空ペアグラスにすれば予備のストーブも不要かもしれない。

 予測に違わず、今回のの冬は最高に快適で、感謝です。
もっと早く「床暖の恵み」を楽しんでいればよかったのにと思った。

 「青春の日々にこそ、おまえの創造主に心を留めよ。
  苦しみの日々が来ないうちに。
  『年を重ねることに喜びはない』という年齢にならないうちに。」
              コヘレト(ダビデの子ソロモン)の言葉12章1節

2005年2月23日

 昨夜イラン地震のニュースをTVで知った。また大きな惨事だ。
その後、天気予報で明日は「春一番」が吹くとの予報があった。
朝6時半ごろ、団地の庭に植わっているヒマラヤスギを吹きぬける風の音で目が覚めた。「ああ、そう言えば昨日の天気予報の通りだ。」と思い、天気の予報の正確さに驚く反面どうして地震の予報が出来ないのかと疑問に思った。

 地上の開発に比べ地下の開発が遅れているのか? 
霊の世界はどうか?

 聖書のヨハネによる福音書3章8節に 「風は思いのままに吹く、あなたはその音を聞いても、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

 風と霊はギリシャ語で同じ(プネウマ)という言葉です。強く吹く風は、その音によってその存在と働きを知ることができる。霊も見えないけれど存在する。霊によって新しく生まれた人は、古い肉的な生き方から開放されて自由に生きる。それがイエス・キリストを信じた新しい人の生き方です。
(世の光キリスト 森野善右衛門著)

2005年2月22日

約束されたもの

 都合で水曜日の定例「聖書を読むかい!」を一日はやめて今日に変更した。朝8時半に家を出て御茶ノ水に行き、まずCLCキリスト教書店に行って新刊書等をみたり、今日から使徒言行録を読み始めるので、参考に小説[聖書](ワンゲリン著)の使徒言行録を探したが品切れでったので、丸善に行ったがやはりなかった。ないとなると何が何でも欲しくなるのが人間の気持ち。

 今日の「聖書を読むかい!」で使途言行録1章を読んだ。使徒言行録はルカが書いたもの、ルカによる福音書の続編みたいなもので聖霊によって、宣教活動がエルサレムから全世界へ展開され、そして教会が形成されていく過程を記したものです。その宣教活動に先立ち、聖徒や信ずる者たちにイエスが、「約束のもの (聖霊)を受けるまで待ちなさい。」とあった。その言葉がとても心に留まり、気になった。
 何か事を起こす時にはそれなりの準備(必要なエネルギーを蓄える)が必要。それが出来るまで時を待つということです。
わたしも聖霊のバプテスマを切に求める。

 帰りに新宿の紀伊国屋で小説[聖書]、使徒言行録を手に入れることが出来た。

 「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリやの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
                 使徒言行録1章8節

2005年2月21日

境界線

 あなたは言うべき時に『ノー』と言えますか?

 「境界線、Boundaries」は全米では100万部を突破する売れ行きの、人間関係の大原則を解き明かすものです。ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント両臨床心理学博士の著書です。翻訳され、最近日本で売り出されたものです。

 私も友人、知人、夫婦の間において、まして 特に親しい人に頼まれたりすると仕事に限らずプライベートにおいても、『ノー』と言えず、後で後悔したり、とんでもない責任を負ったりしたことがあった。それだけでなく人に迷惑をかけることになったこともあった。
もっと早くからこの原則を知っていれば、もっと人生良い歩みができたと思う。

 本書で「境界線は私達を定義します。何がわたしであり、何がわたしでないのかその範囲を明確にします。わたしがどこで終わり、他の人がどこから始まるのかを示します。それによってわたしは自分の所有権を意識できるのです。責任の所在がはっきりしている人生には多くの可能性があります。」また、「人は他人の心を変えることは出来ない。状況を変化させるには自分の心を変えなければならない。」とあり、自分の領域、責任範囲外のことは『ノー』と言える訓練が必要とのこと。『ノー』と言われた相手も遅かれ早かれ納得するし、その返事が情況を良くする場合がある。
「違いや不一致について正直になるに従い、怒りをあなたの味方につけることができるようになります。」とも書いてあります。

「それで、主の怒りがモーセに向かって燃え上がり****」
                          出エジプト記4章14節


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河川敷の家庭菜園も境界線で所有区分を明確にしてトラブルを回避している

2005年2月20日

地球に優しく

 京都議定書がいよいよ発効されました。このままいくと地球は人の住めない惑星となってしまう日が近いのです。緊急事態です。地球温暖化によって北極の氷が溶けて、海水面が上昇したり、温帯地域が寒冷になったりします。
 映画「デイ・アフター・トモロー」はそのような環境破壊のテーマを描いた映画だそうです。

 私の友人で、国連の職員としてオランダ政府から莫大な資金援助を受けて、フィリピンの或る村の生活エネルギー(照明、動力、炊事用燃料等)を化石燃料や山の木を使うのでなく、太陽光発電にて賄うプログラムを担当していました。オランダはCO2の増加によって海水面が上昇すると国が水没するそうです。オランダだけでなく全ての国にとって地球温暖化は即死活問題なのです。

 生活のクオリティーをグレードダウンするのはむづかしいが、無駄を無くすことは出来る。

 空調技術者として、私は聖書の出エジプト記の中に神の民の知恵を見つけました。モーセが、女、子供を含めて200万の民をエジプトから脱出し暑い砂漠を旅する情景です。確かに理にかなっています。

 「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。」
                          出エジプト記13章21節

2005年2月19日

皮算用か、まして信仰は

 昨日は市役所税務局に行って確定申告書を提出してきた。昨年3月で定年退職したので自分で税金の申告をするのである。過去に駐在した、シンガポール、香港、フィリピンも現地社員は自分で申告するシステムでしたので、適切に申告するように言ってきたものでした。(国民一人一人が自立している) 

 しかし今回自分で申告するとなると結構ややこしいもので事前に2回も相談に行き、やっと提出できたのです。30万円近くの返還金がある予定ということで、後日所定の銀行に入金するとのこと。  バンザーイ!

 現金でなくとも約束手形みたいなものです。
パソコンを買って、残りを旅行の費用に決めた。
夢が広がる。 取らぬタヌキの皮算用か?

 しかし、イエス・キリストを信じた者にはもっと大きな約束があるのです。

「わたしたちの本国は天にあります。」 
                フィリピの信徒への手紙3章20節

 この聖書の言葉にあるように、何があっても天国に行けるのです。
確約です。これほどの安心、喜びはありません。
しかし、決して死を急いではなりません。

2005年2月18日

トップマネジメント

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散歩道に咲く梅の花

 
 「後継者なくして成功なし」
 「自分が死ぬまで牧会(教会の実権を握って放さない)しようとしたり、教会が死ぬまで牧会する人がいる」と指摘するのはオーストラリアのシティ・ライフ・チャーチのケビン・カーナー牧師(リバイバル新聞) 

 世代交代の難しさは一般社会の企業だけでなく教会にもあることです。往々にして長期政権の老人が引退時期を誤り、晩節を汚すのみならず業績不振を招くことがある。トップの良好な世代交代がトップマネジメントの最も大切な責務であるはずなのに。

 イエス・キリストはこの地上にわずか33年しかおられなかった。最後の3年間は公生涯として、多くの貧しい人、病人のために日夜働かれた。特にこの方を信じる人々には神の子となる特権(永遠の命)を与えたのでした。そしてこの方は何よりもこの間に12人の弟子を訓練しただけでなく、天に召される時には全ての人に、イエス・キリストの代わりにもっと素晴らしい、世に偏在する力ある『聖霊』を送ってくださりました。

 イエスキリストこそ企業家も、牧師も見習うべき『トップマネジメント』ではないか。

 「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなた方のためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者(聖霊)はあなた方のところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなた方のところに送る。」
                     ヨハネによる福音書16章7節

2005年2月17日

真実の言葉

 『火には火を、核兵器には核兵器を』 昨日、北朝鮮の金正日総書記が63歳の誕生日に発した言葉です。アメリカをはじめ日本や敵対する国への挑戦的な言葉です。この言葉はご存知のとおり、聖書にある言葉 『目には目を、歯には歯を』 をもじったものです。
 
 ただ多くの人が誤解しているのですが、旧約聖書で使われているこの言葉は目を傷つけられたら目だけでそれ以上の傷害を与えないようにとの限界を示したものです。また、新約聖書にてイエスキリストが語られたのは、この意味をさらに発展させて、『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。』 すなわち復讐してはならない、と言われたのである。 
 聖書の言葉は一字一句、追加も差し引くことも許されていません。事実2000年間、聖書には、あるいは今は都合悪いと思われる言葉もそこにあります。それは神の領域です、後で分かる時が来るのです。
世界のベストセラー、聖書を読みましょう。正しく!

 「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」 
                  マタイによる福音書5章38、39節

2005年2月16日

常識と真実

 ライブドア堀江貴文さんの言葉、
『世の中は常識と真実がかけ乖離していることがよくある。***** 政府やマスコミをうのみにしていると、わからないことは多い。』
売り上げ4600億円のフジテレビが売り上げ1000億円の日本放送の子会社である。

 確かに常識的には売り上げが大きいほうが親会社であると思う。
常識が真実から乖離していたのである。

 聖書の世界にもこのようなことが多くある。最も明らかなものは、「イエスキリストを信じるだけですべての罪が赦され、永遠の命を得ることが出来る。」 これは真実です。
 しかし常識的に、だれでも「うっそ!」「永遠の命を得るには、修行して悟りを得なければいけないのではないか?」と言うのです。
いつも真実を見て正しい知恵、知識をもてば人生がもっと豊かなものになるでしょう。

 「真理はあなたたちを自由にする。」
               ヨハネによる福音書8章32節
 この言葉が国立国会図書館の受付の梁にギリシャ語と並列に刻まれているのです。

2005年2月15日

サタン

 サタンの存在を信じますか?
「超常現象の存在を認めない人間は疑い深いというよりも無知なのである」ショウペンハウエル 

 以前、わたしはサタンとか、霊というものを信じないものでした。
特に子供のころはアメリカ、ヨーロッパから入ってくる合理主義、科学的、機械化、理論的、明快であることに憧れていました。無知だったのでした。今の社会にて霊の存在を真剣に口に出すとばか者扱いされるのが現実でしょうが、でも今はサタン(悪霊)や聖霊の存在を信じてます。

 サタンはとても大胆、巧妙に私達に働きかけてきます。必ずしも恐い顔をしている訳ではないのです。ある時は美しい人になって、またあるときは賢く、同情的であったりするので気をつけよう。
神の子、イエスキリストさえも誘惑したのです。

 悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国とその繁栄ぶりを見せて、『もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう』 と言った。するとイエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』 と書いてある。」
                   マタイによる福音書4章8-10節

2005年2月14日

ベランダのラベンダー

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 去年の11月ごろ、我が家の小さなベランダでプランターにラベンダーの種を蒔いた。新聞屋さんからもらった景品の種の袋でちっさな種が30-40粒入っていた。指示書の通り24時間水につけ、48時間冷蔵庫に入れて、それから土にのなかに入れました。1週間たち、2週間たちましたが一向に何の変化もないので、景品だからやっぱりだめかなと思って暫らくほって置いた。ある朝良くみるとチッサな芽が無数に出ているのに気が付き本当に感激した。

 10年前、フィリピンに仕事で赴任した時、日本語キリスト教会に母子(娘)で教会に来ているKさんがいました。ご主人は日本食レストランをしているのですが教会には来ません。Kさんは教会の人に主人も教会に来れるよう祈って欲しいといってました。多くの人たちが祈りました。しかし一向に良い話は聞こえてこず、むしろ良くないうわさが聞こえてくるのでした。でも皆は祈っていました。最近Kさんから妻のところに便りがあり、去年の暮れから夫婦そろって礼拝の席に座れる喜びを伝えてきました。3月に洗礼を受けるそうです。

 本当にすごい、私達も感激し、主に感謝しました。天にざわめきが起こっているようです。

 「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪びとについては、悔い改める必要のない99人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」 
              ルカによる福音書15章7節

2005年2月12日

ピアノリサイタルへ

 今夜はこれまでの人生で数えるほどしか行ったことがないピアノリサイタルを聞きに行った。イベントマネジメントをしている友人、Nさんに夫婦で行くようにと招待券を頂いたからです。

 上野の奏楽堂で行われた。ここは明治23年に建てられ現在重要文化財に指定されていて由緒ある建物。中にはパイプオルガンが装備されていてさすが立派なものです。建物はともかく演奏がこれまたすごい、よくもあのように指が動くものだと感心した。

モーツアルトの『女ほど素敵なものはない』
ベートーベンの『テンペスト(嵐)』
リストの『ハンガリー狂想曲』
ショパンの『葬送』
 
 人生の喜びや苦難、、民族の生活、悲しみ等をピアノを通して歌い上げているのでしょう。圧巻はわたしには『テンペスト』、音楽家でありながら耳が聞こえなくなったベートーベンの苦難、また「人生順風満帆ばかりが良いわけではない、極寒の冬があってこそ春の到来に喜びを感じる。」とコメントして弾いている演奏者、Chung Lee(李 清)に心打たれた。
 
 はからずも斜め前の席で時の人’黒田さん母子’が語っておられるのも拝見することが出来ました。
N さんありがとう。

 「後の世代のために、このことばは書き記されねばならない。
『主を賛美するために民は創造された。』」 
                    詩篇102篇19節

2005年2月11日

ロゴ

 最近、ビジネスをはじめいろいろな活動がグローバル化している。

グローバル化を促進するのに必要なひとつのメディアにロゴがある。
ロゴはビジネスでも団体でもそのものをイメージする重要なものである。
時には、長い間かかって築き上げた信用 (品質であり、価格であったり、サービスであったりするが)を示すものともなる。何億円、何十億円をかけてその企業のイメージに合ったロゴを作ってきた企業もある。

今、世 界で良く知られているものは、コカコーラ、マクドナルドのロゴと言われてる。確かにコカコーラのロゴを見ると、あの冷たいシュワとした感触がよみがえり、飲みたくなる。

 しかしロゴで最も古くから、だれでも知っているのは十字架ではないだろうか。カトリックでは十字架の上にキリストが磔になった十字架、プロテスタントは単に十字架のみという違いがあるが、どちらにしても十字架はキリスト教というロゴで世界中の人に知られてる。
 
 世界中の信じる者がこの十字架を見ることで、慰め、癒し、励ましを得ている。十字架はなんと不思議なロゴであるうか。

 「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」 
            コリントの信徒への手紙1、1章18節

2005年2月10日

結婚

 幸せになりたい!

「1日だけ幸せになりたければ、床屋に行きなさい。
1週間だけ幸せになりたければ、結婚しなさい。
1ヶ月だけ幸せになりたければ、馬(車)を買いなさい。
1年だけ幸せになにたければ、家を建てなさい。
一生幸せになりたければ、正直になりなさい。」
  
これはイギリスの古い諺だそうです。
結婚の幸せはかくも短いのでしょうか?

 全ての栄華、と英知を極めたソロモン王の言葉に、

「有能な妻を見出すのは誰か。
真珠よりはるかに貴い妻を。
夫は心から彼女を信頼している。
儲けに不足することはない。
彼女は生涯の日々、夫に幸いをもたらすが、災いはもたらさない。
羊毛と亜麻を求め、
手ずから望みどおりのものに仕立てる。
商人の船のように、遠くからパンを運んでくる。
夜の明ける前に起き出して、
一族に食べ物を供し、召使の女たちに指図を与える。
熟慮して畑を買い、
手ずから実らせた儲けでぶどう畑をひらく。
力強く腰に帯し、腕を強くする。
商売が好調かどうか味わい、
ともし火は夜も消えることがない。
手を糸車に伸べ、手のひらに錘をあやつる。
貧しい人には手を開き、乏しい人に手を伸べる。
雪が降っても一族に憂いはない。
一族は皆、衣を重ねているから。
敷物を自分のために織り、麻と紫の衣を着ている。
夫は名の知られた人で、
その地の長老らと城門で座についている。
彼女は亜麻布を織って売り、帯を商人に渡す。
力と気品をまとい、未来に微笑みかける。
口を開いて知恵の言葉を語り、
慈しみの教えをその舌にのせる。
一族の様子によく目を配り、
怠惰のパンを食べることはない。
息子らは立って彼女を幸いな人と呼び、
夫は彼女をたたえて言う。
『有能な女は多いが、あなたはなお、そのすべてにまさる』と。
あでやかさは欺き、美しさは空しい。
主を畏れる女こそたたえられる。
彼女にその手の実りを報いよ。
その業を町の城門でたたえよ。」
             (箴言31章10-31節)とある。

 このような妻を持った人は間違いなく、生涯幸せでしょう。

2005年2月 8日

皿洗い人

 定年退職後、最近わたしは良く皿洗いをする。皿を洗うだけです、料理ではないのです。料理は、妻にまだやらせてもらえません。
自宅勤務も結構責任範囲、命令系統がはっきりしていて会社に劣らず、なかなかのものです。

 ところで、皿を洗っている時にいろいろと考えるのですが、ほとんどの皿は、たわしに洗剤を付けて、手で回して、回して、回していれば洗えるということです。だれが初めに皿を丸く考えたのか、近代食生活が豊かになり、使われたたくさんの皿を洗う人のことを考えて造られたのだろうか。神の業か人の知恵かともかく良く出来ている。
 
 また、薬缶に蓋がついている、これが当たり前と思うが、去年バンクーバーで50日近く寮生活した時、共同キッチンで蓋のない薬缶を見たし使ったことがある。片手で操作でき使いやすい。確かに水を入れて沸かしてそれを器に注ぐだけです、水を入れるところと出す所が違わねばならないという法則はない。蓋は邪魔ですし、たまには洗わなければいけないような圧迫を受けます。皿洗い人としてはないほうがいいですが。

 「なぜ、お前たちは背きを重ね、なおも打たれようとするのか、
頭は病み、心臓は衰えているのに。
頭から足の裏まで、満足なところはない。」 
                  イザヤ書1章5節
 人は頭から足まで全てイカレテイルそうだ。
だからたいした事は考えられないと。

2005年2月 7日

友と道

 昨日は、午後から本厚木に住むk氏ご夫妻と駅で待ち合わせ、妻同士、夫同士別々の話題が有ったので、分かれてそれぞれ近くの喫茶店でお茶の時間を持った。
 2時間ばかり日常生活や信仰の話をした。わたしはその後、ちょうど夕陽が落ちて、でもまだ空は青く明るかったいので、相模川の土手の散歩道に行った。
 
ここはいつも、妻と往復1時間ウオーキングする体力増強の道です。しかし昨日は一人、友と話した事(励まされたり、考えさせられた事)をもう一度思い出したり、祈ったりしながら歩いた瞑想の道となった。
話す友、散歩道を与えられて感謝です。

 鉄は鉄をもって研磨する。
 人はその友によって研磨される。 
              箴言27章17節

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2005年2月 6日

ユビキタス

 世界には不思議なことがたくさんあります。その不思議なことのひとつは「無いものを見に行く旅」です。近いうちにわたしも是非行きたいと願っている者です。

何か分かりますか?
それはイスラエルのエルサレムにある、イエスキリストの墓です。

 その墓にイエス・キリストの遺体はありません。でも2000年来世界中から大勢の人が訪れて感激し、力を頂くのです。なぜならイエス・キリストは復活し天に昇られました、そして代りに神さまは聖霊を送ってくださったのです。神の業がイエスキリストの十字架、復活、昇天で完結したのでなく、むしろ聖霊によってその後多く、力強くなされたのです。
 
 この聖霊は今も全地に遍在しています。この聖霊の遍在がユビキタスという言葉です。決してコンピュータ用の造語ではないのです。
ユビキタスな聖霊の働きによって、人は「イエスを主」と告白できるのです。
聖霊を求めてください。

 「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなた方のためになる。わたしが去っていかなければ、弁護者(聖霊)はあなた方のところに来ないからである。」                         
       ヨハネの福音書16章7節


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イエスの墓はこのように竪穴で石が入り口にある、右は外から見たもの

2005年2月 5日

上野動物園

 最近、上野が何だか身近になっている。と言うのは数日前に友達から来週末に上野で開かれるピアノリサイタルに招待されたことで、今朝妻が上野動物園を思い出したように口に出したのです。実は、わたしにも上野動物園は思い出がある。

 わたしが神奈川県の鶴見高校1年生だった時、父が脳溢血で他界しました。わたしたち母と兄弟4人(兄と、妹2人)は親戚に厄介になるため東京に引越しました。そんなことでわたしは高校2年の2学期から上野高校に転校しました。上野高校は東京芸術大学の隣,上野動物園の裏という風にいつも紹介しました。時々間違えて入ってきて、「ああ、ここはおサルばっかだ、つまんない。」なんて言って出て行く人もいました。
 当時、45年ぐらい前、田舎から都会に出てきていろいろ驚く事ばかりでした。2学期の中間試験が終わった頃文化祭が催うされ、その最後に夕方校庭で、生徒会主催(先生はノータッチ)のフォークダンスが行われるのです。上野高校は7割が男子の学校でしたので、近くから白鳳高校、竹早高校(女子が多い)からパートナーになる人が来るのでした。ダンスが終わった後は暗くなるのでパートナーを送って行く事が暗黙の了解でした。田舎の鶴見高校では考えられない事で淡い気持ちと都会のセンスを感じたものです。

 今日の聖書のことば、
「わたしにとって、驚くべきことが3つ、知りえぬことが4つ。
  天にある鷲の道
  岩の上の蛇の道
  大海の中の船の道
  男が乙女に向かう道。」  
             箴言30章18,19節

2005年2月 4日

祝福

 わたしの人生、今まで追い求めてきたものは結局、「祝福」というもののように思う。わたしは「祝福を」手にすることが出来たのだろうか? 
はっきり、イエスです。

 これから暫らくの間、第3の人生を生きるでしょうが、これからも祝福されていることを確信している。
 それは生活上で辛い事がないという訳ではありません。いやむしろ辛い事は人並み,いやそれ以上あるかもしれません。事実、年が進むと体は衰え(徹夜が出来ない、ゴルフの飛距離が短くなる、自転車で転びそうになる等々)るが、今まで味わった美味や成功体験(プライド)ばかりが身についていて、現実とのギャップに憤りを感じる事が増えているのは事実です。

 村上龍は「希望の国のエクソダス」でこの国には希望がないと中学生に言わしている。でもわたしには「希望」があるからです。
自分の力で勝ち取った祝福は、残念ながら最終的には永遠に残らない。
この祝福は絶対者である神からのものでありたい、永遠であり普遍的です。
 わたしが神から頂いた最も大きな希望は永遠の命、天国の国籍です。
あなたは祝福されていますか?
祝福された人生を送れますか?

 「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ,神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。」 
            ローマの信徒への手紙5章1,2節。

2005年2月 3日

刷新論

 昨日は「聖書を読むかい」の後、上野にあるわが母校JTJ宣教学院に刷新論の講義を聴きに行く予定にしていた。刷新論とはキリスト教会がどの様に変えられたか、また変えられるべきかを論ずること。キリスト教会のリフレッシュです。夜6時半から9時までです。
 その間しばらく時間があったので上野の芸術の森の、西洋美術館、国立博物館、奏楽堂のまわりを散策した、何か教養がついたような雰囲気になるのが不思議です。栄養も付けることが必要と思い、ル・コルビジェの傑作(日本でのコンクリート打ちっぱなし建築のはしり)東京文化会館に入って、精養軒でケーキセットを食べリフレッシュ、自己を刷新し学校に向った。

 「新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れるものだ。」 
                マルコによる福音書2章22節
 中身が新しくて、エネルギーがあるものを入れる場合は、外の入れ物を新しくしないと敗れると言うこと。
会社でも新しい事(改革)をする時は新しい組織(人事)にして刷新することが必要。
あなたの会社はいかがですか?


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上野の森散策

2005年2月 2日

逃れの町ー続き

 今日は「聖書を読むかい」の日だった。
いつもの様に、御茶ノ水のレストランで食事の後、3人で聖書を読み始めた。
 ヨシュア記20,21章、この箇所は逃れの町の説明と、レビ族に逃れの町を委ねるところです。
 逃れの町は、弱い、失敗しがちな、また悪意ではないがきつい言葉で人を傷つけてしまい、許しが必要な私達にこそ必要な所です。新約聖書ではイエスキリストが私達の逃れの場として与えられています。「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに着なさい。休ませてあげよう。」 マタイによる福音書11章28節

 聖書を読んだ後、「最近、奈良県で起こった少女誘拐殺害犯が、同様の犯罪で前科があったことがわかっていたのに事件が再発したことは残念だ。」「数千年前に、犯罪者の取り扱いについて書かれている聖書の思想を理解していれば防止できた事件ではないか。」等の意見が交わされた。
 犯罪者の刑務所での留置生活は懲らしめもあるが、もうひとつの主な目的は更生です。作家、安部譲二の「堀の中の懲りない面々」で犯罪者の八割がたがまた戻ってくるというコミカルに描いている映画を見たことがある。
 刑期がただ満了すればよいと言うだけでなく、更生に必要なプログラムを組んで実施し、本当に更生したという結果が大切です。アメリカでは仮釈放でさえ、更生してその個人が正直で信頼できる人物に変わったと思われる場合だけ許可されるとのこと。
決して再発がないことを望む。

2005年2月 1日

雪の倉

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 今日は本当に寒い、外気温8度C,晴れていても風は身を切るほど冷たい。今年初の大寒波到来です。日本海側は大雪だそうで、中越地震の被災地、小千谷では3メートル近い積雪で、家が崩れないよう雪下ろしが大変のようです。幸いにも私達の厚木 (関東南部)では毎日天が抜けるような青空です。30年近く東南アジア、南方に暮らしていた私達夫婦にとってはとても気持ち良く、申し訳ない思いです。
 この狭い日本の中でも、日本海側と太平洋側とではどうしてこんなに違うのか不思議です。 確かに、私達人間にとって理解できることはこの宇宙のほんの一部です。

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
「お前は雪の倉に入ったことがあるか。
       霰の倉を見たことがあるか。」       
              ヨブ記38章1,22節

隠されている事柄は、我らの神、主のもとにある。 
                申命記29章28節

 あなたは、雪の結晶が全て六角形で、それもひとつひとつ型が異なるのは何故だかご存知でしようか?

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