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阪神大震災10周年

 阪神大震災10周年の記念行事をTVで見ている時、中越地震、インド洋大津波の被害がダブって脳裏に浮かんでくる。その悲惨な現場の映像に多くの人が「神はいるんだろうか?」と叫んでいた。
 
 天地創造の神を信ずるクリスチャンとしてこの出来事をどのように取らえたら良いのだろうか。愛する者を失った人にかける言葉をわたしは持ちあわせていません。天を造り、地を造り、人を造られた神以外には慰めることが出来ないでしょう。ただ悲しみの中にある人が語る言葉に静かに耳を傾け、また主に祈るのみです。

 しかし、この地は終末に向っているのは事実です。(近年の地震の多発によっても分かる)
だから「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」とイエス様が語られた言葉を思いだします。

 でも何でこれほど多くの悲しみを引き起こさなければいけないのでしょうか?
 神様は、神の選民イスラエルの民を根こそぎバビロンに捕囚したのです。イスラエルの民の罪の故でした。また神の愛するひとり子、イエスキリストをも十字架にかけたのです。世の罪のためです。世のすべての尊い命が救われるためです。

 争いが絶えないこの世界で、愛する者を失ったものたちの悲しみゆえに、多くの国の人たちがボランティアで助け合ったことは、悲しいけれど美しい情景です。世界平和の一歩です。
 残された者たちは、召された命の分までこの世で命を大切に生きようとする。これも大切。
 
 最も大切に思うのは、失われた命の復活です。再臨の時に命がよみがえり、その命に必ず会うことが出来るという切なる希望です。わたしたちクリスチャンにとって終末は復活の喜びの時です。
これが残された者の生きるエネルギーです。

 わたしも被災者に直接何も手助けが出来なく心痛めている者です。
聖書の神は歴史を支配され、歴史を造り、歴史の中に今も生きている神です。そのような神を 「今、あなたを見ました。」ヨブ記42章5節、と言う人がおられるよう祈ることがわたしの為すべきことです。
 
 「わたし達は、神のために戦うために遣わされるのではない。神の戦いにおいて、神によって用いられるために、わたし達は遣わされるのである。」 オズワルド チェンバーズ

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