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2005年1月31日

クルマ

 我が家にある唯一のクルマは、1昨年、元の会社の同僚T氏から無料で頂いた赤い折りたたみ式の自転車です。これがなかなか便利で、公害を出さず運動不足解消に役立つのです。多くの人に「お宅,本当にクルマ無いのですか?」と、聞かれます。今の所、本当に自転車だけです。幸い我が家から小田急線、相模線の厚木駅が徒歩5分ですから、遠出は電車で行き、両隣の駅の海老名や本厚木への買い物はさし当たって自転車で十分です。

 今日は妻が義父の介護に出かけたのでわたしが自転車で往復30分かけて新鮮野菜を買いに行った。特に今日のように良く晴れた日は自転車で、風を切って畑の間を抜けて野菜市場(JAのグリーンセンター)へ朝採り野菜を買いに行くのは最高です。
 
 友達に油揚げ一枚買うのにクラウンに乗って行く人もいるが、いつもリュックを背負って早足で元気に坂を上って行く先輩ご夫婦が私達の理想です。わたしもクルマが不必要とは思わないが、地球環境の面でも自然を大事にし、また健康維持からも出来るだけ化石燃料を使わず、排気ガスを出さないことに協力したい。
 
わたし達の命と同じように、かけがえない地球を守るために自転車に乗ろう。
神様が造られたもの全てを、正しく支配するよう人間に委ねられたから。

 初めに、神は天と地を創造された。 
                     創世記1章1節
 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
                      創世記1章27節


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   JAグリーンセンター新鮮野菜市場    

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  水路のそばの桜並木

2005年1月30日

逃れの町

 ヨシュア記20章に逃れの町について、主がヨシュア命じたことが書かれている。

 「モーセを通して告げておいた逃れの町を定め、意図してでなく、誤って人を殺したものがそこに逃げ込めるようにしなさい。そこは、血の復讐をする者から逃れの場所になる。」
               ヨシュア記20章2,3節

 逃れの町は人が故意でなく人を殺した時に、神さまが備えた逃げる町です。「神は愛である。」と聖書にあるよう、神さまの愛の計らいによるものです。人間は過ちを犯しやすい者であることを神さまは良くご存知だったからです。事実、モーセもダビデもパウロも大きな失敗をした人物ですが、悔い改めたので神さまに大きな祝福を与えられた。

 人生やり直しが出来るのです。

2005年1月29日

税金取り

 今日は定年退職して初めての、確定申告の準備を始めました。
貧乏人は払う税金がない、また金持ちは何とかもっと増やしたい。というわけで誰でもが税金から逃げようとする。

 日本では年金の受け取りはこちら側が積極的に手続きをしないと受け取れません。同じように税金も(源泉徴収され)過払いになっていても決してお役所から返金の連絡はありません。すなわち取られ損です。

 イエスさまの時代にも徴税人は皆から嫌われていたようです。いつの時代でもどこの国でも税金取りは嫌われているようです。でも聖書の中にイエスさまと出会った徴税人が、今までの事を悔い改めて、多くとった人には利子を付けて返す話が出ています。ほんとの話です。

 日本国の社会保険庁、税務署の人たちも是非イエスさまと出会っていただきたいものです。

 イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」 ザアカイは急いで降りてきて、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿を取った。」
 しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よわたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたなら、それを4倍にして返します。イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。」  
         ルカによる福音書19章5-9節

2005年1月28日

誕生日

 今日は次男、潤の誕生日です。28歳の誕生日おめでとう!
28年前、シンガポールでのその日を思い出します。長男の望を、手伝いに来てくれたわたしの母に預けて、家内はお餅を食べた後、わたしが赤いオースチンの愛車に家内を乗せて、グレンイーグルス病院に連れて行った。そしてDr.Pang が”Congratulation! Boy again.”

 28年間守ってくださったことを主に感謝し、また新しい1年を健康を守られ、なすべきことを成していくことが出来るように祈りました。

 またその間出産、育児、教育等いろいろ苦労した妻の労をねぎらう意味で今日は朝10時に家を出て、彼女の好きな海を見にいった。
 香港のトラムを2輌連結にしたようなローカル色豊かな、江ノ電に乗って湘南の海にいった。ハワイ風レストラン「珊瑚礁」に入って、海を見ながらお昼を食べた。真冬のきらきら光る海を見ながら久しぶりに、おいしいね、おいしいねと言いながらしばしのくつろぎの時でした。

 あなたを造られた主は、今こう言われる。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」                 イザヤ書43章3節


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      湘南の海

2005年1月27日

旅に出よう

 定年退職者よ、旅に出よう。

 もう子供達も巣立ち、地位や名誉や財産にとらわれる環境から開放されているでしょう。若い時の目標だった「所有」から「存在」の世界、DOINGからBEINGの世界に旅をしよう。
 若い時は所有物の量や業績や効率が大切だった、しかしこれからは居ることが自分を含め人々にどれだけ心を豊かにするかが重要です。今からは内面的なものの追求、自由な、永遠の希望を知る旅に出よう。

 主はアブラハムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。
 あなたを祝福する人をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」
 アブラハムは、主の言葉に従って旅立った。
                 創世記12章1ー4節

 アブラハムは、75歳で生まれ故郷を離れて、神の示す地にむけて旅に出たのです。わたしたちも今からでも遅くはない、熟年の心を豊かにする旅に出よう。
 これが第2の人生を豊かにする秘訣です。

2005年1月25日

うたた寝

 疲れた時、ちょっとの間のうたた寝は本当に気持ちがいい。
昨日は朝から東京へ出かけて、久しぶりに銀座を歩いた。そして友人に会って昼食を一緒にし、そのあと新しく出た本「境界線」を三省堂、教文館で探したが見つからなかった。お茶の水での夕方のアポイントまで時間があったので、東京フォーラムに行った。
 義理の兄が設計のメンバーだったのを思い出して、後学のためにこの機会に行ってみた。すばらしいアトリューム構造だった。

 その後有楽町駅から山手線に乗って上野へいこうとしたら電車の中でぐっすり寝てしまった。目が覚めたら渋谷だった。とてもすっきりした。隣の人の顔をそーと見たらいやな顔をしていなかったので安心した。

 電車の中でうたた寝するのも気持ちがいい。教会でも説教中気持ち良さそうにぐっすり寝ている人がいる。寝ていても神様の祝福は確実に届いています。心配しないで教会に行きましょう。

 「朝早く起き、夜遅く休み、焦慮してパンを食べる人よ、それは、むなしいことではないか、主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。」 
              詩篇127篇2節


          
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             東京国際フォーラム

2005年1月24日

川柳

 ぎすぎすした昨今、ユーモアが心のオアシスになる。

 昨年のサラリーマン川柳入選作一つ二つ、
   1、 無駄省け 言ってた上司 省かれる
   2、 家事分担 それパパこれパパ ママはどれ

 鉄不足 妻の口癖 時代なり
うちの家内が体調不良で言ってた事が、中国の工業化のための鉄鋼不足を招いたか?

 ユーモアは にもかかわらず 笑うなり
          ドイツのことわざとのこと

 酒のみの 大食漢は キリストか
十字架にかかる前の時まで、弟子達と晩餐を楽しんでいたイエスさま(最後の晩餐)

 「わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。」
              ヨハネによる福音書15章11節

2005年1月23日

ああ結婚

 「杉田かおるが日産コンツエルンの創業者の孫と電撃結婚した。」
 
 最近の芸能トップニュース。
彼女は以前、TBSの24時間チャリティーマラソンに出たり、昨年末まで自分を負け犬と称してTVに出ていた人気タレント。(最近は結婚していない30歳後半の女性を負け犬とよぶことが流行しているそうです)
結婚生活がうまくいく様祈っている。

 創世記2章18-20節に
「主なる神は言われた。
”人が一人でいるのは良くない。彼に会う助ける者を造ろう。”
 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人の所へ持ってきて、人がそれぞれどう呼ぶかみておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。
 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることが出来なかった。」 とある。

 名前を付けるとは、対象を親しく知り、その性質や特徴を知り、自分との関係を理解することです。人は動物達の中には自分の悩みを分かち合ったり、共通の志を持って助け合う者がいないことを知りました。神様は人に「ふさわしい助け手」とはどのようなものであるかを知らせようとしたのです。

 無益なようでも結婚にはこの様な過程が重要なのです。
そして24節には,
「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」とあります。

 これが結婚の奥義です。

2005年1月22日

爺のメール

 94歳の爺がメールを始めて2週間くらいになるでしょうか。いろいろな困難を乗り越え孫達とメール交換が出来るようになった。始めのころは孫娘の所に20通もの空メールが送られた。受ける方も少々フラストレーションがたまったでしょうが、尊敬している爺のために忍耐したことでした。
今日はメールで俳句を送ってくれた。

 「冬陽さす 窓辺に一人 爪をきる」   弘法山人

 こうなるともう94歳の爺、また携帯メールの初心者とは思えない。

 わたしが今朝与えられた聖書のみ言葉は、
「あなたは年をかさねて、老人となったが、占領すべき土地はまだ沢山残っている。」 
          ヨシュア記13章1節

 人間の能力の90パーセントは使われていない、後半生には入るにつれ秘められた可能性を大いに活用する必要に迫られる時が来るのである。
 「第三の人生」アルホンス デーケン著
 
 わたしも爺に負けてはいられない。
 すばらしい励ましをありがとう。

2005年1月21日

偶像崇拝の危険性

 日本人は大晦日から正月にかけて人口の7割に当たる8千5百万人が神社仏閣に参拝しているといわれている。
 宗教心に富んでいるのは確かである。「いわしの頭も信心から」すべての物が神や仏になり信仰の対象となる。拝む対象はともかく、拝むことに意義があると考えているようだ。
 
 聖書では十戒の第1,2戒で神は、「わたしをおいてほかに神があってはならない。」「あなたはいかなる像も造ってはならない。」と、偶像を造らないことを最も大切な戒めとしている。

 なぜそんなに偶像崇拝がいけないのか?

 「だから、地上的なもの、すなわち、みだらな行い、不潔な行い、情欲、悪い欲望、および貪欲を捨て去りなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。」         
        コロサイの信徒への手紙3章5節。

 偶像は人間が造ったものです。人の欲望に答えてくれる様に人間が造った神です。
 偶像は人間の奴隷的存在です。人間が神を支配することになるのです。
 
 人間はそんなに偉いものですか、そんなに万能ですか?
神だから天地も創造でき、奇跡も起こすことが出来るのです。
人間が神に少しでも近づこうとすること,神と等しくなろうとすることは、神を冒涜すること、背信行為です。神の主権を侵したために神の怒りを買ったのが創世記11章のバベルの塔の話です。

 もうひとつの偶像は、心の中にあるもの、すなわち富、地位、名誉、プライド等です。これらのものが人生の最も大切なものとして、神となることは、究極には自己礼拝で、神によって造られた人間自身を礼拝することです。これも十戒を破ることです。

 わたしも以前、偶像を礼拝したことがありました。
 主の前に悔い改めました。

2005年1月20日

図書館へ

 物質的な欠乏を満たすには島忠(近くのホームセンター)へ、知的な満足のためには厚木図書館へ行く。手軽に、安価に読書したり、調べ物をしたりできると言うのはうれしいことです。

 今日は午後から厚木図書館へ行って深層心理についての本を読んだ。大学入試センター試験が終わったせいかすいていたのは良かった。しかし部屋の暖房が効き過ぎで、少し読書していると眠くなってなかなか頭に入らなかった。
 それでも図書館にいると、知識が増えたようでなんとなくうれしい。

 「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。」 
栄華を極めたソロモン王が書いた伝道者の書 1章5節 にある言葉です。
と言うわけで今日は疲れたから、これくらいにしよう。

2005年1月19日

聖書を読むかい

 週に一回、水曜日のお昼に東京の御茶ノ水で聖書を読む会をしている。
 以前勤めていた会社の同僚達(退職間際)が中心で、先輩や、元お客さんで親しかった方が集まります。もう半年位続いている。ホテルのレストランで昼食をした後聖書を2-3章輪読し、それぞれが自由に聖書箇所に限らず日常の事を含めて意見を言ったり、質問したりする。
いろいろな情報交換を含め結構楽しい時です。

 TJさんが聖書を読んでみたいというのがきっかけでした。
多くの日本人は聖書を手にしたことがあるが、少々難しく解説してくれる人がいないと1ー2ページ読んでギブアップしてしまいます。(一度は読んでみたいと言う思いはあるのです)と言うわけで、聖書の内容を知っている人が少ないのが現実です。
 クリスチャンになるかならないかは2の次、ビジネスや生活の上で、まず世界のベストセラーであり、グローバル化している世界事情を知るための物(経済、文化等)として聖書を読んでみる事が大事だと思っているのです。

 私が30数年のクリスチャン生活を通して得た実感として、聖書をの偉大さをもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。そして余生をこの事に全力を注ぎたい。

2005年1月18日

カラマーゾフの兄弟

 退職して自宅勤務になったので、今まで読めなかった本を読むことが出来るのは楽しみの一つです。最近やっとドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を読み終わった。650ページからなる文庫本で3冊(上、中、下)びっしり文字で詰まっている。まず驚くのはこのボリューム、内容についてはつい先ごろまでソ連(現ロシア)は共産国なのにキリスト信仰が国民のベースになっていることです。
 もちろん1800年代に書かれたものだからまだ共産主義社会の前だったからです。

 最終章(エピローグ)に、病弱な父,少し心を病んだ子供のような母をもつ極貧の家庭に育った少年イリューシャが死んで葬られる場面がある。
 
 生前貧しいがゆえに父に対する悪口を言った友達連中を相手にして一人で戦ったやさしい少年。イリューシャの葬儀は学校の友達  12,3人がランドセルをしょったまま棺のそばに立つというほどの、きわめて質素なものだった。でもこの貧しく、小さいが善良で正義感にあふれたイリューシャがみんな好きだった。
 最後の別れを終えて棺に蓋をする時が来た時、父親は死んだわが子の唇に、むさぼるように接吻をしていつまでも離れようとしない。隣人コーリアは願わくば何でも捧げるからあの子を生き返らせてほしいと言う。
 
 カラマーゾフ家の長男ドミトリーは父親殺しの疑いでシベリヤに流刑されようとしている、次男イワン病気で死の床についているという様な状況、そしてこの町を離れようとしている3男アリョーシャがすべての人との別れに最後の言葉を述べる。

 「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に尊く、力強く健康で、ためになるものは何一つないのです。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日にか僕達の救いに役立ちうるのです。」
 「すばらしい感情で僕達を結び付けてくれたのは、いったいだれでしょうか、それは善良で、愛すべき少年イリューシャです!」「決して忘れないようにしよう。」
「ぼくたちはみな死者の世界から必ずよみがえって、それまでのことをみんなとお互いに楽しく、うれしく語り合うんです。」

 ドストエフスキーの「よみがえりの希望」は感動です。

2005年1月17日

阪神大震災10周年

 阪神大震災10周年の記念行事をTVで見ている時、中越地震、インド洋大津波の被害がダブって脳裏に浮かんでくる。その悲惨な現場の映像に多くの人が「神はいるんだろうか?」と叫んでいた。
 
 天地創造の神を信ずるクリスチャンとしてこの出来事をどのように取らえたら良いのだろうか。愛する者を失った人にかける言葉をわたしは持ちあわせていません。天を造り、地を造り、人を造られた神以外には慰めることが出来ないでしょう。ただ悲しみの中にある人が語る言葉に静かに耳を傾け、また主に祈るのみです。

 しかし、この地は終末に向っているのは事実です。(近年の地震の多発によっても分かる)
だから「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」とイエス様が語られた言葉を思いだします。

 でも何でこれほど多くの悲しみを引き起こさなければいけないのでしょうか?
 神様は、神の選民イスラエルの民を根こそぎバビロンに捕囚したのです。イスラエルの民の罪の故でした。また神の愛するひとり子、イエスキリストをも十字架にかけたのです。世の罪のためです。世のすべての尊い命が救われるためです。

 争いが絶えないこの世界で、愛する者を失ったものたちの悲しみゆえに、多くの国の人たちがボランティアで助け合ったことは、悲しいけれど美しい情景です。世界平和の一歩です。
 残された者たちは、召された命の分までこの世で命を大切に生きようとする。これも大切。
 
 最も大切に思うのは、失われた命の復活です。再臨の時に命がよみがえり、その命に必ず会うことが出来るという切なる希望です。わたしたちクリスチャンにとって終末は復活の喜びの時です。
これが残された者の生きるエネルギーです。

 わたしも被災者に直接何も手助けが出来なく心痛めている者です。
聖書の神は歴史を支配され、歴史を造り、歴史の中に今も生きている神です。そのような神を 「今、あなたを見ました。」ヨブ記42章5節、と言う人がおられるよう祈ることがわたしの為すべきことです。
 
 「わたし達は、神のために戦うために遣わされるのではない。神の戦いにおいて、神によって用いられるために、わたし達は遣わされるのである。」 オズワルド チェンバーズ

2005年1月16日

散歩道

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 最近新しい散歩道を見つけた。
 以前は海老名に残る数少ない田んぼを通り抜ける道を散歩していたが、最近相模川の土手が格好の散歩道であることを発見した。夕方になるとジョギングしている人や、犬の散歩している人に出会い、挨拶することもある。土手の西側に川が流れ、川の向こう岸に本厚木の町があり、そのはるかかなたに丹沢の山々がる。山の端に沈む夕陽が空を真っ赤に染める時、天地創造の神を想う。
 
 定年退職して9ヶ月になろうとしている、何歳まで生きられるかわからないが、生きている限り健康でいたい、主の許しがあるならもう10年は社会のお役に立ちたい。そのような思いをもって夫婦で約1時間今足腰を鍛えるための散歩をしている。

 「今日わたしは85歳ですが、今なお健やかです。モーセの使いをしたあのころも今も変わりなく、戦争でも、日常の務めでもする力があります。どうかあの時主が約束してくださったこの山地をわたしにください。」
        ヨシュア記14章11-12節


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2005年1月15日

祈りの力

 わたしは土曜日の午前中を夫婦の祈りのときとしている、楽しいときです。
 クリスマスカードや年賀状から家族、親族、友人の思いを全能なる主に祈るのです。お金儲けや、塔を建てることも大切な働きだが、祈りはそれにもまして崇高な働きです。祈りは病気の人でも、子供でも、お年寄りでもすべての人が出来る働きです。
 
 現代人は「祈り」など科学的でないと一笑に伏すが、それでいて結構頼りにしている。
 旧約聖書のヨシュア記に祭司アロンの子孫が神様から優遇され多くの土地の分配に預かっている。これはアロンの家系がとりなしの祈りをする種族となったからです。
 とりなしの祈りをしよう、神様から大いなる祝福をいただこう。

 「霊」も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたし達はどう祈るべきかを知りませんが、「霊」自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
          ローマの信徒への手紙8章26節

望がゆうき君、潤が松本さんのために祈ることはすばらしいことだ。

2005年1月14日

モーセの謙遜

 文明の衰退は高慢からとアーノルド トインビーの「歴史の研究」にあるという。

 高慢の反対は謙遜である。謙遜という言葉を少し誤解して使っていることが多い。謙遜は自己卑下ではない。

 また、世間では人生の成功は「俺がやったんだ!」という自己実現、 しかしクリスチャンは神実現です。

 モーセは生涯神なる主に従順であった。
そして主のなさった業ををほめたたえ、主に感謝した。それゆえ祝福された。
 特に人は成功した、儲かった、ゲットできた等絶頂期にある時が一番危険。

 謙遜に!主に感謝。

「モーセという人はこの地上のだれよりもまさって謙遜であった。」
                  民数記12章3節

2005年1月12日

爺のケイタイメール

 実家の94歳の爺ちゃんが携帯電話でメールを始めました。
以前から玲子が勧めていたが、なかなか取り掛かろうとしなかった。

 先日朝日新聞に掲載された85歳のおばあちゃんが、携帯電話で孫達とメール交換することが楽しみで、その上生きがいとボケ防止を得ているという記事を紹介した。すると爺ちゃん「こんなのチョチョイのチョイだよと言って俄然やる気を出した。「爺ちゃん、85歳のおばあちゃんと同じくらい若いね」と言ってもらいたかったようです。

 また、初めて孫からメールで返事をもらった感激はすごかったよう。
まだメールが来るとすぐ電話のように出なければいけないものと思っていたり、メールは来るが文章がなかったり、いろいろハプニングがある。
爺ちゃん今94歳にて少しずつメールの味を味わいつつある。

 何事も味わってみると結構おいしいものがある。
イエス様の味はもっとすごいのになー。

2005年1月10日

目が開かれて

 「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」
                使徒言行録9章18節
 
 クリスチャンでも目は開かれ、回心し新しく生まれ変わるが神様から何ももらっていない人が結構多くいる。

 神様から賜物として救いをうけよ。罪を告白し赦しを受けよ。
カトリックでは司祭が神との仲介者であるが、プロテスタントではクリスチャン一人一人が祭司(万人祭司)であるから神様に直接罪を告白し、赦しを受けることができる。

 一人の人が罪の赦しを受けて救われることは、家族、親族、民族に大きな影響を及ぼすのです。(ユングの深層心理学的な考察からみても)

”クリスチャンよ、あなたの罪は許されている。”これを信じよう。

PS. 「目からうろこがおちる」 という言葉が、2000年前使徒ルカによって使われた言葉とは驚きました。

2005年1月 9日

流れのほとり

 今年からある都合で家でインターネットを通じて礼拝することにした。 

 大和カルバリーチャペルの礼拝に参加することにしたのです。
今朝の説教題は「流れのほとり」。
祝福の源はいつも流れのほとりにいることです。
聞いた御言葉を実行することです。
365日(毎日)礼拝がカルバリーチャペルで始まったので週1回は出ようと決心した。神様の時が来たとき
きっと大いなる祝福があるでしょう。

いかに幸いなことか、
神に逆らう者の計らいにしたがって歩まず、
罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、
主の教えを愛し、
その教えを昼も夜も口ずさむ人。
その人は流れにのほとりに植えられた木。
時が巡り来れば実を結び、
葉もしおれることがない。
その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。 
              詩篇1篇1-3節

2005年1月 8日

礼拝

 礼拝は神様が与えてくださったものうち最高のものを捧げることです。
神様が何かよきものを下さったなら神様に賛美を捧げましょう。

 もし神様が下さった良きものを自分だけに留めておくならばそれは腐敗するでしょう、イスラエルの民が荒野で二日分のマナを集めたときそれは腐ってしまったように。
 アメリカのホームステイの精神は素晴らしい。息子がホームステイした時、御礼をしようとしたとき受け取ってもらえなかった。「あなたも次に誰かをホームステイさせてあげてください」とのこと。
 
 また礼拝は祝賀会です。
罪に汚れた私のために、イエスさまが十字架にかかって替わりに罪を償ってくださったのです。私は罪を許されたその大きな愛のために神様に喜びと感謝をささげるのです。ですから祝賀会なのです。
主の日にはおいしいものを食べて皆で主を賛美しお祝いをしましょう。

 「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして捧げなさい。これこそあなた方のなすべき礼拝です。」
            ローマ人への手紙12章1節

2005年1月 7日

新年会

 昨日は新年会でした。
 昨年3月で高砂熱学は定年退職したのですが、海外事業部(古巣)の後輩達が気を利かして新年会に招いてくれたので神田まで出て行った。退職して早く会社との係わりをなくし、新しい出発をしようとしているのですが、やはり昔の仲間に会うのはうれしいものです。一昨日寝るときは少し興奮して寝つきが悪かった。
 
 30年間の海外事業で一緒に働いた後輩達9人と一緒にイタリヤ料理を食べながら、料理は一流でしたが何より昔話に花が咲き味を確認しないままあっという間に所定の3時間が過ぎてしまった。今も海外の各地で体を張って奮闘している後輩達(一緒に働いた者が多い)がいる。彼らの安全と成功を祈りっていこうと思わされた。

2005年1月 4日

ことば

 創世記1章3節、神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。

 ヨハネによる福音書1章3-4節、「万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。言葉のうちに命があった。」
 
 言葉には物事を生み出す力、クリエイティブ パワーがある。
人を生かすのも殺すのも言葉一つでできる。

 言葉を大切に使おう!
いつも肯定的な言葉により積極的に生きよう。
感謝。ありがとう。信じてる。良くできたよ!

 明日はもっと良い日だ!

2005年1月 2日

 最も贅沢な花

 セントポーリヤ別名アフリカンバイオレット
咲いた花に太陽の光が当たると花びらのラメはダイヤモンドより美しい。
年に数回咲くが、水遣り過ぎない、直射日光を避ける、寒さを避ける等結構デリケートな管理が好まれる。室内にて管理する。葉の茎を切り土に挿すだけで殖えていく。


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我が家のセントポーリア

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